2016年5月13日金曜日

ビックリマンやゼビウスに隠れていた、コンテンツで人を熱狂させる仕掛けとは?


2016年5月10日 17:00
 
             
                 
     
最新ナラティブゲームのショーケースが企業活動におよぼす影響とは
小野憲史
ゲームジャーナリスト小野憲史

ゲームのナラティブって何?

ナラティブって、なんだっけ、なんだっけ......

おそらくギズの読者にとって「ナラティブ」という用語は耳慣れないと思うのですが、ゲーム業界ではここ数年、急速に浸透してきた概念だったりします。今年の3月14日から5日間にわたって、米国サンフランシスコで2万7000人近くの参加者を集めて開催された、ゲーム開発者会議「Game Developers ConferenceGDC)」でも、ナラティブを専門に議論する「ゲームナラティブサミット」(今年は第4回目)が開催され、全21本の講演やパネルディスカッションが行われました。

このナラティブを用いた議論は2000年代以降、欧米のゲームアカデミズムの間で、物語論を巡る研究から生まれてきました。ひらたくいえばRPGやアドベンチャーゲームのような、ゲーム特有の物語体験に関する研究です。
これが2010年代に入り、学術研究の枠を越えて、ゲーム開発者の間で広く議論されるようになりました。この主要なきっかけの一つが、2013年にGDCで初開催された「ゲームナラティブサミット」でした。
しかしこのナラティブ、詳しくは後述しますが、実は「ゼビウス」をはじめ、日本のゲーム業界が1980年代から無意識のうちに活用してきた手法だったりもします。しかも、企業の宣伝やマーケティング活動など、ゲーム業界を越えて応用できる手法でもあり、すでに多くの事例が存在します。
たとえば、「ビックリマン」のヒットの背景にもナラティブを応用したプロモーションの手法がみてとれます。ユーザーが無意識に点と点をつないで線(=ストーリー)を作るように仕向けるコンテンツを作ることは、ナラティブの典型的な活用事例の一つだからです。

そこでGDCでの議論をもとに、あらためてナラティブの解説とゲームにおける実例、そしてビジネスへの応用について考えてみたいと思います。

ナラティブ=「ストーリー」+「ストーリーを語る技法」

朝日新聞社のインターネット用語辞典「コトバンク」で「ナラティブ」について検索すると、
文芸理論の用語。物語の意。1960年代、フランスの構造主義を中心に、文化における物語の役割についての関心が高まった。その過程で、「ストーリー」とは異なる文芸理論上の用語として「ナラティブ」という言葉が定着した。
(日本大百科全書(ニッポニカ)の解説より)
という解説が表示されます。

詳しい説明はそちらに譲るとして、ポイントは我々が通常用いている「ストーリー(=物語)」とは別に、「ナラティブ」という概念が存在すること。そして現実社会において、医療・公共政策など、さまざまな形でナラティブが登場することを、ぼんやりと理解してもらえればOKです。 
その上でナラティブについて説明してみましょう。フランスの批評家・思想家のロラン・バルトは、ナラティブを「ストーリー」と「ストーリーを語る技法」の融合だと定義しました。ここでいうストーリーとは、「最初から最後まで時系列でつながる一連の出来事」です。
桃太郎と犬・猿・雉
例として「桃太郎」について考えてみます。桃太郎の「ストーリー」は「桃から生まれた桃太郎が成長し、犬・猿・雉を従えて鬼ヶ島にわたり、鬼を退治して宝物を持ち帰る」というように、「時系列でつながる一連の出来事」として構成されています。

一方で「桃太郎」の物語も、神の視点(三人称視点)、各キャラクターごとの視点、はたまた退治される鬼の視点と、さまざまな視点によって変化するでしょう。また物語の終わりから冒頭へと、時間軸を逆転させた形で叙述することも可能です。このように「ストーリーを語る技法」には、語り手や時間軸といった要素がふくまれます。

ゲームでしか体験できない「物語」とは何か?

さて、それではこのナラティブが、なぜ今になって(海外の)テレビゲーム開発で注目を集めてきたのでしょうか。そのためにはゲームの歴史について振り返る必要があります。
1970年代
テーブルトークRPG「ダンジョンズ&ドラゴンズ」
1974年に米国でテーブルトークRPG「ダンジョンズ&ドラゴンズ」が発売。「ドラゴンクエスト」などデジタルゲームのRPGの原点になる。また、1972年に米国マグナボックス社から家庭用ゲーム機の元祖「ODYSSEY」が発売。
1980〜1990年代
1983年に任天堂から「ファミリーコンピュータ」が発売。デジタルゲームの普及が急速に進む。1990年代にかけて数多くのゲームハードウェアが各社から発売。徐々にスペックも向上し、ストーリー表現の幅が広がる。
2000年代〜2010年代
Ingress
1990年代後半以降は、MMO(大規模同時接続型ゲーム)RPGなどデジタルゲームの多様化が進む。2000年代以降はニンテンドーDSやスマホの普及により「ゲームを持ち歩く」ことが一般化。位置情報を使ったスマホゲーム「Ingress」(ナイアンテックラボ)が2013年にリリース後、世界的にヒットした。
逆説的ですが、ゲームにとってストーリーは必ずしも必要なものではありません。「テトリス」のようにストーリーがなくても大ヒットするゲームは多数存在します。 
一方でゲームと映画や小説などとの最大の違いが、プレイヤーの操作によって進行すること、いわゆるインタラクティブ性です。映画や小説は体験者がコンテンツを受動的に楽しむメディアですが、ゲームでは能動的に進めなければ展開しません。そのため、ゲームに物語性を組み込む上では、常に「プレイヤー視点での設計」が求められます。そこでは自ずと「ゲームならではの物語体験」が求められることになるでしょう。

しかし、1980年代から90年代にかけて、コンピュータの性能にはまだまだ限界がありました。そのためゲームの物語表現も、パズルなどの仕掛けをクリアしながら決められた物語をなぞっていくものや、選択肢によって分岐していくものなど、いくつかの手法に留まっていました。そこでは物語は既存ジャンルからの借り物にすぎませんでした。

それが1990年代後半から2000年代に入ると、技術進化によって状況が大きく変化します。「ウルティマオンライン」(1997年)のように、サーバ上で数万人が同時に楽しめるMMO(大規模同時接続型)RPGはその一つです。また「グランド・セフト・オート」シリーズのように、広大なゲーム内世界を舞台に、さまざまなミッションが同時多発的に展開し、プレイヤーが自由にゲームを進められる、オープンフィールド型ゲームの登場も革新的でした。
これらのゲームには従来のような決められたストーリーラインがありません。にもかかわらず、プレイヤーは濃密な物語体験が得られます。では、こうしたゲームをどのようなフレームワークで捉えるべきだろうか......。こうした議論が海外のゲーム開発者や研究者の間で、徐々に高まってきました。

インディゲームでナラティブがブームに

もっとも、ゲームと物語の間には大きなジレンマがあります。展開の多様性を求めるほど、開発コストが増えるのです。1本道のストーリーを途中で分岐させると、それだけ開発コストがかかります。しかもプレイヤーによっては、片方のルートをクリアしたところで満足して、やめてしまうかもしれません。オープンフィールド型のゲームに至っては、桁違いの(それこそ数十億〜100億円超)開発費がかかります。
とはいえ、ゲームの開発費の多くはシナリオによって増加するグラフィックの制作費であり、アーティストの人件費です。だったら物語体験のユニークさだけを追求することで、開発費を抑えた斬新なゲームが作れるのではないか......。こうした動きがインディゲーム開発者の間で生まれてきました。
こうした背景のもとで、2012年にテキスト表現が一切ないアクションアドベンチャー「風ノ旅ビト(Journey)」がPlayStation 3で登場し、世界中で大旋風を巻き起こしました。

開発はThatgamecompanyという、学生が中心になって起業した米国のスタジオです。翌2013年には架空の社会主義国家の入国管理官となる、個人制作のアドベンチャー「Papers, please」がブレイク。これによって全世界のインディゲーム開発者が色めき立ちました。

まとめると、ここには、
  • ゲームには従来のメディアにはない、新しい物語体験を提供できる可能性がある
  • その可能性は技術革新によって広がり、2000年代にブレイクした
  • インディゲーム開発者でも実現可能になった
という流れがあります。では、この「ゲームならではの物語体験」とは何か。それをどのように定義して議論するべきか。そうしたときに格好の枠組みとして再発見されたのが、ナラティブだったのです。
前述のようにナラティブにはストーリーを語る技法という要素があります。これはプレイヤーの能動的な操作によって異なる物語体験が得られるという、ゲームのインタラクティブ性と相性が良さそうです。 
というわけで2013年に開催された第1回ゲームナラティブサミットでは、ナラティブに関するさまざまな議論が展開され、まさに百花繚乱状態でした。
このムーブメントは現在も続いており、斬新なナラティブを提示したとされる実写アドベンチャー「Her Story」(行方不明になった男性の妻への事情徴収とデーターベースの検索で推理を進めていくサスペンスゲーム)が、ゲーム開発者の投票ベースで贈賞される「Game Developers Choice Award(GDCアワード)」でナラティブ部門とイノベーション部門の部門賞に輝くなど、高い評価を受けています。 それは、一見無意味な複数の情報をストーリーによって理解しようとする脳の仕組みに根ざしているのです。
また、時間を巻き戻す超能力を得た少女が主人公の「Life is strange」がGDCアワードでオーディエンス部門を受賞。さらに物語体験を重視したオープンフィールドRPG「The Witcher 3: Wild Hunt」がGDCアワードの大賞(ゲームオブザイヤー)に輝くなど、ナラティブ重視のゲームは海外のゲーム開発者の間で、依然として高い注目を集め続けています。

事例紹介

前回までの記事で「ナラティブ」の定義について解説をしました。ここでGDC 2016ゲームナラティブサミットのセッションから「The Narrative Innovation Showcase」のレポートをかねて、ナラティブゲームの実例について紹介しましょう。本セッションは2015年に注目を集めた5タイトルのゲーム開発者が登壇し、どのようなナラティブ的工夫を行ったのか解説するという内容でした。
1.PRY
タイトル:PRY
制作:Tender Claws
講演者:Samantha Gorman(ゲームデザイナー・共同設立者)
プラットフォーム:iOS
主人公は湾岸戦争に従軍し、現在は祖国で解体業者を営むJames。ゲームはノベル形式をとり、戦争から6年が経過したJamesの深層心理を舞台にストーリーが展開されます。最大の特徴はスマートフォンに最適化された操作系で、画面をピンチアウトするとセンテンスが広がり、行間に新たなパラグラフが出現すること。これによってプレイヤーはJamesの記憶の奥深くにダイブするような感覚で物語を楽しめます。
また、物語に関連する写真や動画が大量に内包されており、ストーリーの展開に応じて再生されていきます。時には点字風のグラフィックが表示され、指でなぞると音声が再生されるなどの表現も。これらの操作を通して、プレイヤーは戦争で失われたJamesの人間関係や、彼の持っていたビジョン、さまざまな謎や記憶にまつわる嘘などを解き明かしながら、真実に迫っていきます。
ゲームデザイナーのSamantha Gorman氏は「プレイヤーの操作にゆだねすぎると物語が発散しすぎてしまい、作り手側の管理を強めすぎると幅がなくなってしまう。テキストや動画の断片を適切に提示しながら、このバランスをいかにとるかが難しかった」と語りました。これはすべてのナラティブゲーム制作者に共通する課題でしょう。
2.Ice-Bound Concordance
タイトル:Ice-Bound Concordance
制作:Down to the Wire
講演者:Aaron Reed(Storytelling Guru、インディペンデント)
プラットフォーム:iOS、Windows、書籍
米国カリフォルニア大学サンタクルーズ校の博士課程に所属する2名の学生による作品です。
物語は死後、急速に名声が高まった作家、Kristopher Holmquistが残した遺稿を巡って展開します。未発売に終わったシリーズ最終巻の内容に世間の注目が集まる中、出版社は Holmquistの人格を移植した人工知能「KRIS」を開発します。プレイヤーはKRISと対話しながら、最終巻の内容や死の謎に迫っていくという内容です。
ゲームはマップ上を移動し、付箋サイズのスペースに表示される断片的なストーリーを収集しながら進んでいきます。それらの情報をつなぎあわせることで、謎が謎を呼ぶ仕掛けになっているのです。ビジネスモデルがユニークで、フリーゲームと有償の書籍のハイブリッド。プレイヤーは書籍をカメラでAR的にスキャンし、そこで得られる情報を手がかりにゲームを進めていきます
ゲームデザイナーのAaron Reed氏は本作を開発するにあたり、「彫刻家が少しずつ素材を削って全体像をあらわにしていくように、プレイヤーがインタラクティブなストーリーを進めていき、物語世界を探索できないか」と考えていたそうです。それによって何度も繰り返しプレイできるナラティブゲームが、安価に開発できるのではないかというわけです。
3.Elsinore
タイトル:Elsinore
制作:Golden Glitch Studios
講演者:Katie Chironis(チームリーダー兼ライター)
プラットフォーム:PC版で発売予定
シェイクスピアの悲劇「ハムレット」が原作のアドベンチャーゲームで、ゲームはクォータービュー視点のもと、古典的なマウスクリックによる操作で進行します。原作はデンマーク王子ハムレットが、父を殺害して母を奪い王位を簒奪した叔父を討って、復讐を果たすものの、自分もまた死んでしまうというストーリー。プレイヤーはこの一部始終を最初に予知したオフィーリアとなり、悲劇を食い止めることが目的です。
ゲームの冒頭で、5日後に城の全員が死ぬ夢を見たオフィーリア。その内容どおり、普通にゲームをプレイしていくと原作通りの結末が訪れます。しかし、本作でオフィーリアは何度も同じ時間軸をループする運命にあります。そしてハムレットをはじめとした主要キャラクターに話しかけたり、各々のキャラクターが隠し持つ嘘や秘密をあきらかにするなどして、運命の輪から逃れるために努力していくというわけです。 
登場人物にはさまざまなパラメータが存在し、社会関係を構築しています。そしてプレイヤーの行動によって、行動がさまざまに変化していきます。チームリーダーのKatieは「本作では勝利・高揚感・謎を解くなどの行為は求められていません。複雑な人間関係の中で生きる、物語の登場人物の人生を体験してもらうことが目的です」と語りました。
4.Cibere
タイトル:Cibere
制作 Star Maid Games
講演者 Nina Freeman(ゲームデザイナー)
プラットフォーム:Windows、Mac
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オンラインゲームにおける恋愛をテーマとしたアドベンチャーゲームです。主人公はオンラインゲームで出会った男性に恋をした19歳の女性。ゲームを進めるうちに、主人公は彼に夢中になっていき、次第にゲーム内だけでなく、電話やチャット、写真の交換などを行なうことになります。最終的に二人が直接出会い、一夜を共にすることがゲームの目的。トレーラーでは主人公が下着姿の写真を送る刺激的なシーンも含まれています。
ゲームはPCのデスクトップを模した画面で進行し、ゲーム内ゲームであるオンラインゲームをNPCの男性とプレイしたり、仮装メールやチャットをしながら進めていきます。女性向け恋愛ゲームというテーマに加えて、この斬新なゲームシステムが高く評価され、インディゲームの世界的なアワード、Independent Game Festival Award(IGFアワード)2016でヌエボ賞(斬新なアイデアのゲームに贈られる賞)などを受賞しました。
講演者のFreeman氏は本作を「vignette」という概念で説明しました。vignetteとは「文学・誌・映像における、短く、ぼんやりとして、何かを喚起させるような描写、または人物の話、状態」のこと。つまり本作の目的は、そのような断片的エピソードを重ねることで、プレイヤーにロマンチックな感情を自ら抱いてもらうことにあるというわけです。
5.The Church in the darkness
タイトル:The Church in the darkness
制作:Paranoid Productions
講演者:Richard Rouse III (ディレクター・ゲームデザイナー・ライター)
プラットフォーム:2017年にWindows、Mac、PS4、Xbox One版で発売予定
1970年代のカルト組織が舞台のアクションアドベンチャーです。当局の捜査官で、主人公のビックのもとに甥のアレックスから手紙が届きます。アレックスはカリスマ的な指導者に率いられた、原始共同体的な理想郷をめざす教会の信徒でした。当局の追求を逃れて教会は南米に広がるジャングルの奥地に本拠地を移転し、自らの理念にそった理想郷の建設に乗り出します。アレックスもまた信徒と共に南米に旅立っていきました。
しかし、手紙の内容はどこか不審な気配を感じさせるものでした。はたして現地で何が起きているのか......。ビックは南米に向かい、教団が建設中の村に潜入捜査していきます。ゲームは見下ろし型の視点で進行し、プレイヤーは信徒と会話したり、見張りを殺害したりと、さまざまな行動が可能です。ビックとアレックスを巡る物語は、プレイヤーの自由な行動にもとづき、さまざまに展開していきます。
ディレクターのRouse氏は本作のコンセプトに「さまざまなナラティブ体験ができるアクションゲーム」と「カルト集団の探索」という2点を掲げました。そしてプレイヤーの行動とナラティブを提供するためのゲームシステムを組み合わせることで、よりプレイヤーを夢中にさせる、魅力的な物語体験を提供したいと説明しました。
これらの紹介が終了した後、本セッションをモデレートしたFiction Controlのゲームデザイナー兼ライター・Matthew Weiseと、ニューヨーク大学准教授のClara Fernandez Varaは、それぞれの共通項を次のように整理しました。
  • 既存のゲームジャンルを無視したり、複合させたりすることで、新たな物語体験が創出される。
  • 断片化され、モジュラー化された物語体験を少しずつ提示していくことで、プレイヤーの中でゲーム内世界を探索したいというモチベーションが喚起されていく。そして、その行動にもとづいて、自分自身のストーリーが紡ぎ出されていく
  • 適切に配置された「隙間」の存在によってプレイヤーの探索欲が刺激される。そして、プレイヤーの中で入手した情報を用いて隙間を埋めたり、独自の解釈を行いたいという欲求が生まれていく
この3項目はゲームならではの物語体験をデザインする上で必須となる要素をうまく整理しています。その上で2000年代以降、技術革新によってゲームのナラティブが花開いたように、今後もまったく新しいナラティブゲームが登場してくると言えそうです。

国産ゲームにみるナラティブ要素

ここまでGDCでの議論を中心に海外ゲームにおけるナラティブのトレンドについて解説してきました。しかしナラティブゲームは海外ゲームの専売特許ではありません。むしろ日本のゲーム開発者が1980年代から無意識のうちに実践してきたことでもあります。
初期の代表例にあげられるのが、シューティングゲームの名作「ゼビウス」(1983年)です。本作ではゲーム内で明確なストーリーが提示されることはありません。しかし多くのプレイヤーがゲームを繰り返しプレイするうちに、そこに何らかの世界観やストーリーを無意識のうちに感じ取れるようなデザインが行われていました。

ゲームはアニメから「世界観」という概念を輸入し、独自のナラティブへと昇華させた

たとえば草原に突如ナスカの地上絵が表示されるステージがあります。これを発見したプレイヤーは、その時にはじめてゲームの舞台が地球で、どうも南米であるらしいことがわかる、といった具合です。ゲームの完成度もさることながら、こうした断片化された情報の存在に当時のプレイヤーは夢中になり、何度も繰り返し遊び込んでいったのです。
他にもさまざまなエピソードを自由に選択し、行間を読み解いていくことで、自分なりの物語体験が楽しめるという意味では、恋愛ゲームの「ときめきメモリアル」(1994年)や、シミュレーションゲームの「高機動幻想ガンパレード・マーチ」(2000年)といったタイトルを忘れるわけにはいかないでしょう。

このように、国産ゲームが初期からナラティブの要素を取り入れてきた背景には、マンガやアニメ文化の影響があります。ゲーム産業が成長期に入った1980年代前半、アニメはすでに「ガンダム」「マクロス」を経て、最初の成熟期を迎えていました。ゲームはそこから「世界観」という概念を輸入しつつ、独自のナラティブへと昇華させていきます。

もっとも、あるゲームがナラティブゲームか否かという線引きは重要ではありません。ゲームの物語体験が「プレイヤー中心主義」で発生するように、ナラティブか否かはプレイヤーとの関係性によって決まります。そのため「誰にとってのナラティブ体験か」「どのような手法でナラティブを発生させるのか」という議論の方が、本質的な問題なのです。

企業活動のナラティブ要素

ビックリマンチョコ
さて、ここまでゲームのナラティブについて延々と論じてきました。では、このナラティブはゲーム業界以外でのビジネスに広く応用可能なのでしょうか。

まず、これまでの議論にもとづき、ナラティブを発生させる要素を「世界観」「メディア」「断片化された情報」という3つに整理してみましょう。すると、さまざまな事例が存在することがわかります。

その代表例ともいえるのが、1980年代後半から1990年代初頭にかけて社会現象を巻き起こした玩具「ビックリマンチョコ」です。鍵となったのは子どものお小遣いでも買える安価なチョコレート菓子に、おまけとして封入されたシールでした。天使や悪魔をパロディ化した、さまざまなキャラクターが印刷されたシールの裏面に記されたストーリーの断片を求めて、夢中になってコレクションした人も多いのではないでしょうか。
このブームは「月刊コロコロコミック」などの漫画雑誌、すなわちメディアが特集を組むことで、さらに拡大していきます。「ビックリマンワールド」はアニメ、ゲーム、マンガ、書籍などのクロスメディア展開をみせ、それに応じてシールの内容も複雑化。最盛期には100億円以上の市場にまで成長しました。ブームは1992年の「天使VS悪魔」篇終了と共に沈静化しますが、今なお関連商品が発売され、根強い人気を保っています。
こうした「遊び」はインターネットと結び付き、新たな物語体験へと進化していきます。2004年から2010年までアメリカで放映され、社会現象を巻き起こしたTVドラマ「LOST」はそのひとつ。無人島に漂着した生存者たちに対して、さまざまな怪奇現象や意味深なイベントが発生する本作の全体像を巡って、ネット上ではいくつものサイトや議論が勃興。全米がテレビに釘付けとなりました。
「ダークナイト」にあわせて実施されたプロモーション施策「Why So Serious?」
2008年に公開されたハリウッド映画「ダークナイト」にあわせて実施されたプロモーション施策「Why So Serious?」も好例です。

参加者はバットマンの仇敵、ジョーカーの手下という設定です。ある奇妙なメールをきっかけに、参加者はウェブサイト、携帯電話、イベント、ビデオ、グッズなど多彩なメディアに隠された断片的な情報を収集し、ネット上で共有しながら、イベントを体験していきます。


本イベントのように、断片化された情報を多彩なメディアを使って提示していくことで、現実世界をそのままゲーム空間にしてしまう遊びは、ARG(代替現実ゲーム)と呼ばれています。中でも本作は2007年3月から2008年7月まで1年半にわたって断続的に開催され、世界75カ国・地域で1千万人以上が参加するなど、最大級の事例となりました。2009年のカンヌ国際広告祭サイバー部門でグランプリを受賞するなど、高い評価を得ています(参考:ARG情報局)。
これ以外にもナラティブを活用した施策は、企業のマーケティング活動をはじめ、さまざまな形で応用できそうです(参考「のめりこませる技術 誰が物語を操るのか」(フィルムアート社))。その上でポイントとなるのは、VR(仮想現実)やAR(拡張現実)をはじめ、メディア自体が非常に速いスピードで進化していること。そのため本質的には同じ内容であっても、新たな物語体験が次々に提供される可能性が高いことです。

その中でもゲームは最新技術と相性が良く、ビジネスモデルが確立しており、大きな市場が存在することで、ナラティブの実験場となっています。米国ナイアンテック社がスマートフォン向けゲームとして開発中の位置情報を活用したサービス「Pokemon Go」もその一つ。現実世界をユーザーが歩いて、さまざまな場所を訪れ、その場でポケモンを捕まえるという内容です。2016年のリリースに向けてテストが実施されています。
これらは消費者の「現実と虚構のゆらぎ」を楽しもうとする姿勢に他なりません。そして、これは小説・漫画・映画など、あらゆるフィクションに共通する要素です。人はなぜフィクション、すなわち物語体験を求めるのか。それは人には「他人の人生」を生きてみたいという本能的な欲求があるからです。その上で技術革新によって、さまざまにメディアが広がり、それに即したナラティブが生まれているのです。
このように、企業活動を大きくゆるがす可能性を秘めたナラティブという概念。今後も注目したいところです。
小野憲史
ゲームジャーナリスト小野憲史
超硬派のゲーム雑誌「ゲーム批評」の元編集長で、現在はゲーム開発と産業を支援するNPO法人「国際ゲーム開発者協会日本(IGDA日本)」代表。

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