ボタンを押せば二酸化炭素を回収して地球を冷やすから「ひやっしー」。脱炭素が叫ばれる中、世界最小の二酸化炭素回収マシン「ひやっしー」を発明した高校生としてメディアの注目を集めた村木風海氏。

その後は東京大学工学部化学生命工学科に進み、大学での研究と並行して「一般社団法人 炭素回収技術研究機構(CRRA:シーラ)」を設立。企業との共同研究を進めていたが、2023年3月には卒業目前に「満期退学」したことがメディアでも取り上げられて話題になった。

「僕が東大に入ったのは、あくまで二酸化炭素の研究のため。個人の予算では到底買えない機械類が最も充実していたから、という単純な理由です。4年生になって研究室に配属された当初は『ようやく本格的に学べるぞ!』と楽しかったのですが、朝から深夜まで週6で研究室に通いながら、研究員20名を擁するCRRAを経営することは時間的に不可能でした」

卒業まではあと半年となり、必要な単位はすでに取得済み。自身が打ち立てた温暖化までのロードマップでは「2030年までに世界中の二酸化炭素を半分にする」という目標を公言した。だが、大学の研究テーマは温暖化防止と直接的な関わりはない。ならば、「東大卒」の肩書きのためだけに、この半年間を無為にすべきではない。

「研究室で学べることは学び尽くしました。それなのにあと半年、二酸化炭素削減のための自分の研究を進めないなんて、これはもう地球に対する冒涜だろうと考え、9月からは大学に行くことをやめてCRRAでの研究にひたすら打ち込みました」

炭素回収技術研究機構代表を務める村木 風海氏(出所:炭素回収技術研究機構(CRRA))
一般社団法人 炭素回収技術研究機構代表を務める村木 風海氏
(出所:炭素回収技術研究機構(CRRA))

卒業ではないが、中退でもない。文部科学省の制度では大学に通算4年以上在籍し、所定の試験と面接を通過すれば学士号は取得できるからだ。こうして同期が東大卒という輝かしい肩書きを得た2023年3月31日、村木氏は「満期退学」を果たした。

「ノーベル化学賞を受賞した田中耕一先生も学士卒ですし、植物学者の牧野富太郎氏も小学校中退後に独学で研究を続けました。僕も肩書きに振り回されることなく、自分ができることを成し遂げたい」

4代目ひやっしーは海外へ展開

では、CRRAの研究はその後どのような展開を遂げているのか。空気中の二酸化炭素のうち60~80%を回収する家庭・オフィス用「ひやっしー」は改良を進めて現在は第4世代となっている。回収効率、静音性ともに向上し「図書室で稼働させても違和感がないレベル」にまでバージョンアップしたと村木氏は自負する。

「ひやっしー」の第4世代モデル(出所:炭素回収技術研究機構(CRRA))
「ひやっしー」の第4世代モデル
(出所:炭素回収技術研究機構(CRRA))

「ひやっしーは国内の普及がさらに進み、ヨーロッパや中東方面への輸出も決定しています。中東の某国王室からも直接注文をいただいているので、海外展開をさらに拡大させていくことが目標です」

「地球を守り、火星を拓く」をミッションとして掲げるCRRAの研究活動は2本の柱がある。地球温暖化を阻止するための研究と、人類火星移住のための研究だ。現在の主力は化学事業であり、回収した二酸化炭素を活用してエタノールを作り、軽油に代わる代替燃料を目指して製造したCO2由来エタノール「そらりん」の研究も継続している。

「ガソリンよりもエコなそらりんの普及が実現すれば、今の乗り物の形のままで燃料だけを入れ替えることでカーボンニュートラルを実現できます。2023年10月からはコスモエネルギーホールディングスとの共同検討も始めています。大学生の頃に立てた予定としては2023年中に『そらりんスタンド』を各都道府県に設置したかったのですが、当時はやはり経営にまだ不慣れだったため見通しが甘かった。時期を修正して2025年中の設置を目指して動いています」

「二酸化炭素から合成した燃料」で動く可能性を秘めた乗り物は自動車だけではない。「そらりん」開発の延長線上として海運・航空事業にも本格的に進出。航空事業では空飛ぶタクシーことスカイタクシー計画の名の下、2025年の初就航を目指して村木氏自らがパイロット資格取得を目指し、操縦訓練を行っている。

組織の規模が拡大を続ける中、成長を加速するために子会社の設立も現在検討中だ。近日中には東京本社の災害対策も兼ねて北海道に支社を設立する予定になっている。「2024年中にはアメリカかイギリスにも支社を設置したい」と村木氏は意気込む。

「ライバルはイーロン・マスク氏」

火星目指す化学者は東大卒の肩書きも捨てる

「地球温暖化を止めて地球上の80億人を救い、2030年には月へ、2045年までには火星に降り立つ初の人類になる」――。壮大なロードマップを掲げ、二酸化炭素の回収・削減事業に取り組む現役東大生として話題になった村木風海(むらき・かずみ)氏。

「温暖化対策疲れ」が来ている今こそ

多くの危機が重なり、世界情勢は悪化の一途を辿っている。温暖化対策の重要性は依然として変わらないが、パンデミックや地域紛争の噴出によって一時ほどの切実度は失われているようにも見える。最前線に立つ村木氏の目にはどう映っているのだろう。

「外出自粛や不便さの我慢による“コロナ疲れ”があったように、“温暖化対策疲れ”が来ているのかもしれません。危機を煽るやり方が有効な場面もありますが、どんな活動もそれだけでは長続きしませんよね。だからこそ、僕はひやっしーやもくもくのようなゆるいネーミングで、できるだけポジティブに長く続けられる形をずっと模索してきました」

危機感を煽ることなく、誰もがやりたくなるような仕組みを市場に出していく。政府の役割は提言し、主導すること。そのテーマを「やりたい」と思わせる工夫を凝らすのが民間の役割であり、経営者としてのあるべき姿だと村木氏は捉えている。

「ウクライナへの軍事侵攻はエネルギー価格の高騰を招きました。地政学上のリスクが高まる現状への懸念が昨今は盛んに議論されるようになりましたが、僕は温暖化対策の側面からは見方を変えるよい機会にもなりうると思っています。石油を自給できない日本のエネルギー安全保障を真剣に考えるならば、そらりんのような代替燃料や人工石油の開発を今こそ推し進めていくべきではないでしょうか」

「イーロン・マスクよりも早く火星へ」

東大「満期退学」後の村木氏個人の活動も振り返りたい。

2023年にはエジプトで開催された国連第27回気候変動枠組条約締約国会議(COP27)に招聘され、パネリストとして登壇。「東大の肩書きがなくとも認められた」事実は、その後の大いなる活力になった。

2024年1月には村木氏の半生を題材にしたミュージカル「ただ、青い夕日が見たくて」が上演される。存命の、しかもまだ23歳の若者の半生が舞台化されるケースは相当珍しいだろう。

2025年には2030年には月へ、2045年には火星を目指す壮大なロードマップはまだ道半ばだが、ここに来て軌道修正も検討している。新たに追加したい目標が出てきたからだ。

「新たな目標として、2025年にCRRA初の人工衛星を打ち上げてさらなる情報収集に活かしたいと思っています。世間の皆さんは火星に最初に降り立つ人類はイーロン・マスク氏だろうと予想しているかもしれませんが、僕が行きます。いや、もしかするとロケットで到達する最初の人類はマスク氏かもしれませんが、CRRAの技術がなければ火星から地球への帰還は困難でしょう。必然的にマスク氏は僕を同行せざるを得なくなるはず」

現在、CRRAではマスク氏率いるスペースXが開発するロケットとは異なる宇宙移送のアプローチを目下検討中だ。

「宇宙に行く手段はロケットだけとは限りません。炭素繊維を極めることができれば、発泡スチロールよりも軽くてダイヤモンドよりも固い素材が作れるかもしれない。それを素材として橋脚やエレベーターを作ることができたら、大量の燃料でロケットを飛ばさずとも宇宙に到達できるかもしれない。いずれにせよ、民間の技術力を活かして最初に火星に降り立つ人類になれる可能性はまだまだ十分にあると僕は思っています。それが達成できたら日本という国、そして日本で育つ子どもたちがきっともっと元気になれるはずですから」

東大卒の肩書を惜しげもなく捨て去り、ユニークな王国を作り上げるイノベーターがここからどのような未来を切り拓いていくのか。火星の青い夕日を身近に感じられるかもしれない未来の到来を、多くの人が期待している。