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当時の社風は最悪で、社員全員に辞表を突き付けられた……。7,000万円の負債を抱えた家業を事業承継した、株式会社フカイの代表取締役社長 竹内和博さんは当時を振り返ります。離職率は、なんと80%を超えていたそう。そこから数々の「しくじり」を経験するも、課題に徹底して向き合い、改善することで離職率はゼロに。倒産寸前だった業績も約3.5倍に伸び、業界では県内No.1企業へ変貌を遂げています。同社が「人が辞めない組織」に生まれ変わり、V字回復を達成した秘訣とは?詳しく伺いました。
株式会社フカイ
代表取締役社長 竹内 和博さん
1967年岡山県倉敷市生まれ。近畿大学商経学部卒業後、株式会社テンポラリーセンター(現パソナ)に就職。1991年、(現)株式会社フカイ入社。1999年、父の急死により32歳で代表取締役社長に就任。
株式会社フカイについて
1965年創業、配置薬の会社。その他、健康食品のネット通販の企画運営や、フィットネス型デイサービスなどの事業も手掛ける。岡山県・広島県で事業を展開。一時は1億円を超える負債を抱えるも、現在は毎年黒字経営を実現。2021年に過去最高売上を記録し、自社ビルを建設。現在は「空飛ぶ置き薬プロジェクト」として、ドローンで離島に医薬品を届ける実験をスタートしている。社員数は35名(2023年11月現在)。
しくじり社長が見出した「人が辞めない組織」の絶対条件とは?
――竹内さんは「しくじり社長」を自称され、各地で講演活動をされていらっしゃいますね。
竹内和博さん(以下、竹内): はい。当初はV字回復などのテーマで自分の経験を各所でお話しさせていただいていたのですが、ある講演中に「本当に大変だったんですね…」と泣き出してしまった方がいらっしゃって…。それを見て「私は相当しくじっていたんだろうな」と感じ、自らしくじり社長を名乗るようになりました。
家業に戻ってすぐに親会社の医薬品メーカーが倒産してしまい、仕入先がなくなりました。その後、立て直しを図るものの、協力会社の1社に騙されて1500万の詐欺に遭ってしまい…。その後、父の急死により経営のことが何もわからないまま32歳で社長に。そこで7,000万円の借金が発覚したのです。
パニックで頭の中は「売上」のことでいっぱい。社員に過重労働を強いて、口をひらけば「売上、売上」。さらに人材を採用するもののまったく定着せず、入社しては辞めの繰り返し。離職率は80%を超えていた時期もありました。売上が回復する兆しが見えたとしても、またどん底に突き落とされる…。倒産の危機にも追い込まれました。「なんでうまくいかないんだろう」「なんでうちばかり…」そう思ったことは何度もあります。神様に見放されたんじゃないかとさえ思った出来事も…。
しかし今振り返ると、様々な失敗を繰り返してきたことで、経営において何よりも大切なことに気づけたと考えています。そしてそれが、当社が「人が辞めない組織」に変わるための礎になったのだと。
――いったいそれは何でしょうか?
竹内: まずは、 「売上至上主義」は続かない という気づきです。売上至上主義とは、結局は会社のため。もっと言えば、「儲けたい」という社長の欲でしかないと。そしてもうひとつ。これが最も重要なことでした。
それが、 「会社は人がすべて」 だということ。だからこそ、「人を大切にする社風」を社長自ら作っていかなくてはならないと気づきました。
当社では、「超ホワイト企業」と言えるほどの徹底した働き方改革と、社員の本音を聴くこと、そして一人ひとりとの「日常会話」を大切にしています。組織を“塊”で見るのではなく“個”で見る。とにかく、社員が「会社から大切にされている」と感じられるようにするためには何が必要か、いつも考えています。そして、その人が大切にしているものを、一緒に大切にするようにしているんです。
経営において一番大切なことに気づけたことと、それに向かって愚直に努力を続けたことが、社員の心を動かす契機となり、人が辞めない強い組織に変化していったのだと考えています。現在は、1億以上に膨れ上がった借金は全額返済し、業績もV字回復。ありがたいことに、業界では県内No.1企業になることができました。
突然の社長就任と借金に焦る日々。そして、社員全員に辞表を叩きつけられた
――では、具体的にお話を伺っていきます。まずは、竹内さんが入社された当時の状況を教えてください。
竹内: 私が家業に戻ったのは1991年、24歳の時です。前職は勢いのあるベンチャー企業に勤めていたこともあり、「この経験を活かして、会社を良くしよう!」と意気揚々と帰ってきました。
コンピューターを導入して効率化しよう、社用車を買おう、人員を増やそう…など、会社を変えるための提案をたくさん行いました。父は「そうだな」とは言うものの、結局何ひとつ採用されず。今振り返るとお金のかかる提案ばかりしていたんですよね。当時は7名ほどの会社ですし、そんなに資金に余裕もなかったはず。そこに気づかず見当違いの提案ばかりしていたわけです。
一方で、社員からは「息子が帰ってきて、面倒なことを言っている」というような声が聞こえてきて……。「会社を良くしようと思ってるのに」と、私もいじけてしまい、最終的には改革に対するやる気を失い、「薬だけ運んでおけばいいや」とダラダラ働く日々を過ごしていました。
そうこうしていると、親会社の医薬品メーカーがバブル投資に失敗し倒産。親会社からしか仕入れを行っていなかったため、仕入れ先を失ってしまいました。そこで、他社と協力して商品を仕入れる「共同仕入れ」に乗り出します。最初はうまくいっていたんですが、その中の1社に騙され、1,500万円の詐欺に遭ってしまったのです。
さらに悲劇は続きます。2年後、父が心筋梗塞で倒れ、急死してしまうんです。そして1999年、 私の「しくじり社長」としての人生がスタートしました。
――急な社長就任だったと思いますが、会社の内部のことは把握されていたんでしょうか?
竹内: いえ、私も母も「決算書」も見たことないし、実印がどこにあるのかすらわからない状況で。父の葬儀に会社の内情を知る税理士の先生が来られ、 「とりあえず、現状7,000万円の借金があることは覚えておいて。これを返すのが、最初の仕事だから。」 と言われ……衝撃でした。
当時まだ32歳の若造だったこともあり、「借金」というプレッシャーに焦る日々。さらに経営者としての知識や戦略はまったくないので、社員たちに長時間労働を強いて、少しでも売上を作ってほしいと迫るようになりました。社員からすると「社長が交代してから、急に厳しいことばかり言われるようになった!」となりますし、社内の雰囲気は最悪に…。
「このままではいけない」と、経営者の先輩に相談すると「急に売上を上げろと言っても、社員はついてこない。まずは、指針を作りなさい。そうすれば、みんなも協力してくれるはずだ。」と言われました。そして、考えに考えてビジョンを策定。それは、今にも倒産しそうなこの会社を「5年で売上・利益・従業員数・お客様数を2倍にする」でした。2000年の新年の社長挨拶で発表しました。
――社員の方々の反応はいかがでしたか?
竹内: 当然、ポカーンですよね(笑)。「こいつ、何を言い始めたんだ?」と。そして、古参社員の一人が 「理解できませんし、認められません。一晩考えて撤回してください」 と言ってきました。
その晩「皆の意見を取り入れなかったのは良くなかったかな…」と思ったのですが、翌日社員を目の前にして発した言葉は、「これはトップの意思です、撤回はしません。5年で2倍、必ずやります。従ってください。」でした。この発言を聞いた社員たちは、番頭さんを除き、全員が辞表を叩きつけ、そのまま出て行ってしまったのです…。社長になって、まだ4ヶ月ほどの出来事でした。
5年で売上2倍を達成するも、ある日突然、主力商品の売上がゼロに
竹内: それまで7人でこなしていた仕事を、私、母、番頭さんの3人でこなすことになるわけです。追いつけるはずもなく借金は増えるばかり。
一攫千金を狙って芸能人を起用した新商品を発売したこともありましたが、結果売れず、創業以来の大赤字も記録します。新たに採用した社員には過重労働を強いてしまい、奇跡的に採用できた新卒も5名全員退職しました。中途採用も続けていましたが、入っては辞めを繰り返し…。 当時の離職率は80%を超えていました。
同社が現在取り扱っている常備薬
竹内: そんな中、転機が訪れます。2009年頃、球団が創設されたこともあり、楽天の知名度が急上昇。ネットショップの楽天市場に在庫処分として出品していた商品が売れるように。そして、その後販売した芸能人プロデュースのUVカット帽子が爆発的に売れたんです。さらにサプリメントバブルが起き、本業の置き薬もどんどん売れ始め、 誰も実現できると思っていなかった「5年で売上2倍」を結果的に達成 してしまいます。
――それは素晴らしいですね。
竹内: そうですね。しかし、当時30代半ばだった私は、これを 「自分の能力」だと勘違いしてしまった んです。そして、次のビジョン「5年で売上3倍」を掲げてしまいます。
当然、売上至上主義で社員はひたすら働かされる状況が続きます。労働環境は、どんどん悪化していく一方…。社員たちは、不満を持っていたと思いますが、社長である私が誰より働いていたので、社員も文句を言いにくい。「売上達成していないの?土日でも営業付き合うからね!」と、いつも話していました。今考えるとプレッシャーですよね。実際には、ブームが続いて売上が立っているだけなので、それ以上に伸ばすことが難しいというのに。
それから数年経ったあるとき、帽子をプロデュースしていた芸能人が逮捕される事件が起きました。当時、帽子だけで約1億円を売り上げていたのですが、それが一気にゼロに…。
資金繰りが悪化して、その年のボーナスが払えなくなってしまいました。すると、今まで我慢していた社員の不満が爆発。当時15名ほどの社員がいましたが、全員が「辞めます」と言ってきました。さすがにまずいと思い、社員を説得して、何とか半数の社員は残ってくれることになったのですが、経営幹部も、会社を手伝ってくれていた弟も、ピンチのときに会社を支えてくれていた番頭さんさえも去ってしまうことになったのです。
そのとき、やっと気がつきました。 「ああ、私は天狗になっていたんだ」 と……。
社員に見放され目が覚めた。「本音」を集め、改革に乗り出す
――その気づきから、どのように改革を進められたのでしょうか?
竹内: まず 辞めていく社員に「私と会社の悪いところを教えて」と聞いて回りました。 出勤最後の日に飲みに誘うと、割と本音を話してくれたんですよね。何とか引き留め残ってくれた社員には、直接は言いにくいだろうと付箋に意見を書いて貼ってもらうことにしました。題して「ここがダメだよ、株式会社フカイ」です。
竹内: すると、「ワンマン経営」「感情で物を言う」など経営面から、「トイレが汚い」「整理整頓ができていない」といった環境面まで多くの意見が書き込まれました。
そしてある社員に「とにかく労働環境がひどい。長時間労働で、休日出勤も多く、ノルマもきつい。こんな状況では、みんなもちません。」と言われました。実際、当時は朝7時に出社し、夜は10時より前に帰ることはほとんどありませんでした。ノルマが達成できていない人は、土日も働かせていた。だから、残業時間もゆうに100時間を超えていたと思います。
私は前職で朝から晩までひたすら働く生活をしていて、当社の働き方も当たり前だと思っていたので、それを社員に強いていました。しかし、彼らがどれだけ苦しい思いをしてきたのか、まったくわかっていなかったということに、恥ずかしながら、このとき初めて気づいたのです…。
私は、 「すべてを改善すると約束する。時間も金もかけて、必ず直すのでこれからも働いてほしい」 と社員に伝えました。そして、初めて社員と一緒にビジョンを考えました。2010年1月のことです。
――「すべてを改善する」とは、具体的に何を変えたのでしょうか?
竹内: いの一番に行ったのが 「残業」「休日出勤」の禁止命令 です。まずは労働環境を見直すべく、残業・休日出勤ゼロを徹底。あわせて、 それまで課していたノルマもなくしました。
今までとにかく売上至上主義で働きまくっていたので、社員たちも最初「本当にいいんですか?」「休日出勤したほうがいいんじゃ…」みたいな感じだったのですが、18時になったら会社のシャッターが閉まるようにして。とにかく約束なんだから守ると、極端なくらい徹底しました。
――これまでの働き方と真逆の施策ですが、不安はありませんでしたか?
竹内: 当然ありましたよ。ノルマ制で何とかやってきて、売上が足りなければ残業や休日出勤で賄ってきました。それで何とか目標を達成していたのに、それをなくしたら会社はどうなるんだろう…と。でも、 やらないと全員辞めてしまう。それなら、残ってくれる社員たちのために「超ホワイト企業にしよう」 と一念発起したわけです。
結果、嘘みたいに組織が良くなりました。労働時間を集約させ、集中して働くことで、土日はしっかりリフレッシュできるようになったので、疲れ果てていた社員たちの表情が変わってきました。活き活きと仕事に取り組めるようになったのです。また、ビジョンを自分たちの手で作ったので、「当事者意識」が醸成されていきました。やらされ感がなくなり、「自分たちで決めたんだから、やろう」「会社も環境を整えてくれているんだから、頑張ろう」と、“絆”みたいなものも生まれてきました。
――心配されていた、売上面についてはいかがでしたか?
竹内: 実は、改革を始めた月から売上が落ちることはなく、むしろ次の月から上がっていったんです。 ノルマをなくして、できることをやっていこう。できないときがあるのは仕方ない、それはそれでいい。皆で頑張っていこうとしたら、おもしろいくらい売上も利益も伸び始めて…経営とはこういうことなのかと体感しました。
そして「超ホワイト企業」に変わったので、人が定着するんですよね。組織も何とか15名体制に戻すことができました。
しかし、ここで再び悲劇に襲われます……。
災害時の社員の優しさに覚悟を決めた。「人を大切にする」経営へ
竹内: 2011年9月、岡山県を大型の台風が襲いました。近くの川が決壊し、泥水が流れ込んできて、社用車も倉庫の在庫も、機械もすべてがダメに…。このときはさすがに「天に見放された」「これは、神様が辞めろと言っている」と感じました。
台風が過ぎ去った日、トボトボと一人で会社に向かいました。するとそこには、 水没したことを聞きつけた友人、同業者の仲間たち、そして全社員が駆けつけ、掃除してくれていたんです…! さらに、ダメになってしまった在庫は約700万円分ほどあったのですが、取引先の皆さんがすべて無償で新品に変えてくれました。
この出来事で、 人のありがたさが身に染みて、心から「感謝」の気持ちが湧いてきた んです。
こんな状況でも「社長、頑張りましょうよ!」と言ってくれる社員を見て、これまで感謝の気持ちが足りていなかったと痛感。 「社員に報いなければ」 と、強く決意しました。感謝の気持ちはどうやって表現したらいいんだろうと悩んだ末、まずは出勤した社員にコーヒーを入れることから始めてみました。それまでは、偉そうに「コーヒー淹れて」とか言っていたんですが…(笑)。
私はそれまで、会社では「仕事」「売上」の話しかしてこなかったので、社員の皆のことを何も知らなかったんですね。なので、「最近、お子さんはどう?」とか、趣味や好きな食べ物の話とか、ちょっとしたコミュニケーションを取るようにしました。 その人のことを大切にしたいのであれば、“大切にしているもの”を知らないといけないし、一緒に大切にしなければいけない。 そういう心を持とうと。このコミュニケーションを継続していったことで、組織の雰囲気が大きく変わりました。
24時間テレビの岡山県内メインスポンサーも務めている同社。社会貢献事業として、ネパールの小学校建設も行っている。こういった取り組みは社員にとっての誇りになり、「ここで働きたい」と思ってもらえる一因にもなるそう(画像引用:https://www.fukai-yakuhin.co.jp/president-blog/230729)
竹内: 少し前に社員に当社の魅力を聞いたことがあるのですが、全員が「人間関係の良さ」を挙げてくれたんです。かつては 毎年8割が退職し最悪の社風だった会社が、笑顔の絶えない居心地の良い場所に変わっていきました。 こうした取り組みが「人が辞めない組織」に繋がっています。ここ数年で辞めた人は、地元に帰らなければならなくなった1名のみでしたね。会社が嫌で辞めた人は、一人もいません。
――「人が辞めない組織」に変わり、業績も向上されていますね。
竹内: はい。組織改革と合わせて事業戦略や営業戦略を見直したこともあり、最大で1億円以上あった借金は、2015年に完済。営業拠点も4ヶ所に増え、毎年黒字経営を達成、V字回復を実現できました。良いご縁があってM&Aもさせていただき、岡山県内で業界No.1、中四国エリアでも3本の指に入るほどの企業に成長できたのです。現在は、35名の社員が在籍しているのですが、皆いきいきと自律的に働いてくれています。
リーダーの姿勢、行動、言葉は、いつも社員に見られている
――最後に、社長として意識していることを教えてください。
竹内:社長は、いつも穏やかでいること。 カリカリしている社長では、職場環境が悪化してしまいます。 リーダーの姿勢、行動、言葉は、いつも社員に見られていると意識したほうが良い ですね。とくに、会社がピンチのときほどリーダーが前を向いて、皆を安心させて引っ張っていくことが大事。
また 「人として、当たり前の優しさ」を持つこと。 社長である前に、一人の「人間」としての余裕があると良いですね。私は若くして社長になってしまい、視野の狭い中で経営をしてきて、お金に目が眩み、本当に大切なものに気づけず、多くのしくじりを経験しました。私みたいになってはいけないよ!と言いたいくらいです(笑)。
私には2度のターニングポイントがあったと思っていて。1度目は、社員全員に辞めると言われたとき。ここでは「会社運営」についての大きな気づきを得ました。そして、2度目は台風のとき。ここで本当の意味での感謝の気持ちが芽生え、自分の心の持ち方を変えることができました。逃げずに逆境を受け入れ、変化する覚悟を持てたからこそ、今があると思っています。
――ありがとうございました。今日インタビューさせていただいて、社長がずっと笑顔なのが印象的でした。
竹内: もちろん、意識して笑顔でいるようにしています。だって、 人は笑顔があるところ、楽しいところに集まるから。 前は「売上どうなってんだ!」「なんでできないんだ!」っていつも怒ってましたけどね……。あの頃の私が今の私を見たら、きっと衝撃を受けるだろうな(笑)。
(文:三神 早耶 撮影:鈴木トヲル(soulnote) 編集:櫛田 優子)
この記事についてコメント(2)
低迷する配置薬業界の中で、このように人が集まり成長する会社があること自体が素晴らしく、経営者としての考え方次第で会社は変わるというモデルだと思います。業界の皆さんに勇気を与える記事だと感じました!竹内社長はいつも笑顔でいらっしゃるイメージがあり、記事の中にもあったように笑顔が人を引き付けるのだと思います。また社風についてお話を聞かせてください!ここがダメだよ!フカイ!は面白かったです!僕も同じようなことを社内でしましたが、これは思いつきませんでしたね!また参考にさせていただきます!
2023年12月20日素晴らしい。いつも笑顔でいる社長のもとには笑顔の社員が集まるのでしょうか?しくじりからのスタート。いいお話でした。これをどう生かすかは、我々の課題ですね。この記事は読み直したい記事です。
2023年12月04日
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