https://yanai.theletter.jp/posts/53455c40-7953-11ee-8be9-3b9d874262ae
https://yanai.theletter.jp/posts/53455c40-7953-11ee-8be9-3b9d874262ae
「パンデミック条約」みなさんは聞いたことがあるでしょうか。まだできていませんが、WHOを中心に議論が進められている新しい条約です。ニュースも時々出ていますが、大きくは取り上げられていないので、知らない人も多いかもしれません。
これに関連して、最近「パンデミック条約が来年作られ、ワクチンが強制になる」といった言説がネット上などで広がっているようです。
実は、先日、筆者の自宅ポストにもそうした内容のビラが投函されていました。
「ワクチンパスポートの強制‼️」
「WHOの命令には絶対服従」
「ワクチン接種が強制に‼️」
ビラの表面
といったことが書かれ、「各国の主権を根本から覆す条約が着々と準備されています」といった警句が並び、いくつか動画サイトのQRコードも記されたものでした(もし、同種のビラが投函された読者がいるかもしれません。よろしければ情報提供ください)。
ビラの裏面
作成者不詳のビラなので相手にしなくてもよいように見えますが、実はネット上にも類似した言説がかなり広がっています。もともと欧米から広がり、日本にも広がってきたという流れのようです。
では、ここに書かれているような疑念や懸念は、的を得たものといえるのでしょうか。
まず、大前提から確認しますが、パンデミック条約の準備が進められているというのは事実です。同時にWHOの国際保健規則(IHR)の改定作業も進められています。
WHOの権限や、WHOを中心としたパンデミック対策を強化する狙いから改正作業が進められているのは、間違いありません。
ですが、それはあくまで各国の合意あって初めて進められる話です。WHOが各国に強要できる話ではありません。WHOの権限が強化されるとすれば、それは各国が進んでそれに合意したときです。
そして、この新条約やIHRが発効した後、WHOが求める対策を実施するかどうか判断するのは最終的に各国政府であり、その支持基盤である国民です。WHOだけの判断で何か特定の政策を、他国家・他国民に無理やり押し付けられるほど、WHOという機関が強制力をもっているわけではありません。意に反して強制する力とは、刑罰等の制裁を加える力が必要であり、それは各国政府が集中的に保持していることに変わりないからです。
ただし、新条約や改定IHRに同意、締結した国は、そこで定められたルールを国内の法律・施策に反映することが求められますし、各国政府もそれをむしろ糧にして、国内法の整備を進めようとすることは十分考えられます。
その観点から、取り沙汰されている新条約・改定IHRの文案を精査したところ、注目すべき・警戒すべきポイントは「ワクチン」云々よりも、むしろ別の条文にあるのではないかと私は考えています。いわゆる「インフォデミック」対策を締約国に求める条約第18条1項です。
ファクトチェック活動を推進してきた立場からみても、この条文は要注意だと思う理由を詳しく解説します。
今回は、現在議論されている「パンデミック条約」とはそもそも何か、それが実現すると「ワクチン強制」の可能性があるのか、私が注目する条約18条とはどういう内容か、について解説していきます。
『楊井人文のニュースの読み方』は、今話題の複雑な問題を「ファクト」に基づいて「法律」の観点を入れながら整理して「現段階で言えること」を、長年ファクトチェック活動の普及に取り組んできた弁護士の楊井がお届けしております。
今回は無料読者向けの記事です。ご登録いただくだけで最後まで読めます。
独自の取材や調査・分析による記事は、サポートメンバー限定でお届けします(これまでの記事)。サポートメンバーはスレッドでの意見交換に参加できます。楊井の活動をサポートして、記事を継続的に読みたいという方は、ご登録を検討いただけますと幸いです(配信方針など詳しくはこちら)。
無料の記事も時々出しますので、無料読者の登録のままでも全く問題ありません。
パンデミック条約とは?いつ、どのように発効?
まず、パンデミック条約は、正式には「パンデミックの予防、備え及び対応(PPR)に関するWHOの新たな法的文書(WHOCA+)」と呼ばれているものです。「パンデミック条約」は外務省も使っている通称なので、こちらを使います。
経緯の詳細は外務省のサイトとこちらの資料をみればわかりますが、簡単にいうと、新型コロナ・パンデミックを受け、「WHOの強化」を図るため、2021年WHO総会で新条約の議論を開始することが決まり、2024年5月の総会での妥結を目指して、2022年2月から政府間協議が進められているものです。採択された場合、加盟国が国内手続きを経て批准後、発効するもので、国内で承認が得られてはじめて発効することになります。
同時並行で、国際保健規則(IHR)の改定作業も進められています。IHRとは、WHO憲章に基づきWHO加盟国に適用される国際規則で、現在は2005年改定版が発効しています。条約とは異なり、改定版が採択されると、国内手続きがなくても発効するものです。ただし、加盟国が一定期間内に「留保」(本国に適用しないとの表明)をすることも可能です。
さらに、条約を締結・発効しても、直接的に国内法として効力をもつわけではなく、その条約の要請に従って必要な国内法整備を進める必要があります。条約を結ぶということは、条約で合意したことを国内で実行する立法措置を取るという約束をするということです。
筆者作成
日本政府は「パンデミックの予防、備え及び対応(PPR)の強化のため、国際的な規範や規制を強化することが重要」「2024年5月を目途とされる交渉妥結に向けてモメンタムを維持・強化することを重視しており、本件交渉に建設的に参加、貢献していく」としており、基本的に賛同する立場から改定議論に参加しています(外務省の2023年9月資料)。
ここまででお分かりの通り、新条約の中身も、IHRの中身も、まだ「議論中」なので、固まっているわけではありません。条文案は何度も改訂されています。
ですので、パンデミック条約やIHRの議論がなされるとき、どの時点のバージョンをもとにした議論なのかに注意しなければなりません。
現時点で、新条約案の最新版は10月30日公表されたA/INB/7/3というバージョン(参照ページ)、IHRの現行の2005年版(日本政府仮訳)の改定案の最新版は6月2日公表された事務局案バージョン(参照ページ)です。
この記事でも、基本的に現時点での最新版をもとに解説をしていきます。
新条約の構成は、以下のようになっています(筆者の仮訳です)。
前文(13条)
第1章(1~3条) はじめに(定義、目的、原則)
第2章(4~20条) パンデミック予防・準備・対応のための公平性の実現に向けた世界の取り組み
第3章(21~36条) 制度的な取り決めと最終的な合意事項
また、IHRは、現在のバージョンで66条・付録11件がありますが、事務局改定案ではその半分以上を改定する全面改正案となっています。
ワクチン強制の可能性はあるのか
さて、パンデミック条約/IHRをめぐって流布されている「ワクチン強制」「主権剥奪」「基本的人権の制限」といった疑念について、最新版の条文案から検討しておきたいと思います。
(1)「ワクチン強制」の疑念について
パンデミック条約(10月30日版)で「ワクチン」について言及があるのは、前文の1箇所、1条(定義)、10条(持続可能な生産)、15条(補償と責任管理)。
パンデミック関連製品へのタイムリーかつ公平なアクセスが妨げられている不公平に憂慮するとしてワクチンへの言及があるほか、ワクチン被害の無過失補償制度の設立を締約国に求める規定(15条)などがありますが、ワクチン接種の義務付けや強制につながるようなものは全く見当たりません。
IHRの方もみてみると、改正部分に「ワクチン」の言及が含まれているのは、1条(定義)、13条(公衆衛生への対応)、17条(勧告の基準)、36条(予防接種またはその他予防措置の証明書)、44条(協力と援助)、付録の6(予防接種、予防措置および関連証明書)、付録の8(海上健康宣言のモデル)、付録の新設10(協力義務)。
ワクチンなど医療資源への公平なアクセス・配布が事務局長の勧告の考慮要素として明記されるほか、ワクチンへの公平なアクセスについて発展途上国と協力・相互支援することなどが記されていますが、やはりワクチン接種の義務付けや強制につながるようなものは全く見当たりません。
もちろん、事実上のワクチン接種の義務付けや強制は、今回のコロナパンデミックでも各国でみられた現象であり、新条約やIHR改定とは無関係に起き得る事態です。いまのところ、新条約やIHR改定が、締約国に義務付けや強制を勧めることを可能とするような規定は見当たりませんでした。
(2)「主権剥奪」の疑念について
IHR改定案では、たとえば、WHOの「勧告」が法的拘束力のないものから、法的拘束力のあるものに修正されています。法的拘束力のある勧告になれば、締約国は原則として従わなければならないとはいえ、これを強制したり、従わない国に制裁を加えたりする仕組みが設けられるわけではありません。
今回の改定は、WHOの権限を強化する目的で行われているのは確かですが、「主権の制限、剥奪」というのは、飛躍があるように思います。
まず確認しておくべきは、IHRの現行の2005年版には国家主権を確認する条文があり、今回の改定版でこれを削除、修正する案は出ていないという事実です。
第3条(諸原則)
4. 諸国は、国連憲章及び国際法の諸原則に従い、自国の保健政策に基づき立法を行い且つそれを実施する主権的権利を有する。その際、諸国は本規則の目的を尊重することが求められる。
(原文)States have, in accordance with the Charter of the United Nations and the principles of international law, the sovereign right to legislate and to implement legislation in pursuance of their health policies. In doing so they should uphold the purpose of these Regulations.
改定される条文案の中には、「主権の尊重」に言及したものもあります。
第44条(協力と援助)
第2項
WHOは、要請があれば、締約国、特に開発途上国と協力し、速やかにこれを支援する。
…
(j) 公衆衛生上の緊急事態に対するパンデミックへの備えと効果的な対応を改善するた め、WHOが勧告を策定し、その実施を支援する際には、締約国間の状況や優先事項の違い 、保健システム強化を含め、主権の尊重が考慮されるようにする。
(原文)
WHO shall collaborate with and promptly assist States Parties, in particular developing countries upon request,
…
(j) ensuring that differences in contexts and priorities among different States Parties, respect for their sovereignty, including health system strengthening, are taken into account when developing recommendations and supporting their implementation by WHO in order to improve pandemic preparedness and effective response for public health emergencies.
パンデミック条約でも同様に国家主権の確認規定が設けられています。
第3条(一般原則とアプローチ)
2. 主権 ー 国家は、国際連合憲章および国際法の一般原則に従い、自国の健康政策に従って立法し、実施する主権的権利を有する。
(原文)
2. Sovereignty – States have, in accordance with the Charter of the United Nations and the general principles of international law, the sovereign right to legislate and to implement legislation in pursuance of their health policies.
10月30日公表版で入った「前文」には、「公衆衛生問題への対処における締約国の主権の原則を再確認する」という文言もあります。
もともと「パンデミック条約によって主権が奪われる」という言説は欧米などで広がり、3月にはWHOのテドロス事務局長が「全くの誤り」と表明するなど波紋が広がっていました。今回新たに提案された「前文」に主権の確認が加えられたのは、そうした疑念を払拭することも念頭にあったのかもしれません。
(3)「人権制限」の疑念について
ところで、IHRの現在発効している2005年版には「本規則の実施は、人間の尊厳、人権及び基本的自由を完全に尊重して行なわなければならない」(第3条1項)という規定があるのですが、現在議論されている改定案では、次のように全く別の内容に書き換えられています。
(仮訳)
本規則の実施は、衡平性、包摂性、首尾一貫性の原則に基づき、かつ、締約国の社会的及び経済的発展を考慮しつつ、締約国の共通しているが違いのある責任に従って行われる。
(原文)
The implementation of these Regulations shall be based on the principles of equity, inclusivity, coherence and in accordance with their common but differentiated responsibilities of the States Parties, taking into consideration their social and economic development.
IHRでこの他に「基本的人権の尊重」に言及した規定は見当たりません。これをわざわざ削除する理由が定かでなく、気持ちが悪いことは確かです。
ただ、これだけをもって「人権の尊重」が行われなくなる、というのは早計です。
パンデミック条約の方には「人権尊重」規定が設けられています。
第3条(一般原則とアプローチ)
1. 人権の尊重 ー 本協定の実施にあたっては、人々の尊厳、人権、基本的自由を十分に尊重しなければならない。
(原文)
1. Respect for human rights – The implementation of this Agreement shall be with full respect for the dignity, human rights and fundamental freedoms of persons.
また、国連憲章や国際人権規約などで、基本的人権の尊重は国際的な原則として確立しており、IHRで明記するかしないかで、その原則が揺らいでしまうような話ではありません。そもそも、人権の制限がどこまで許容されるかは、各国の憲法のもとで、各国の議会、裁判所等で判断されることです。
先日、最高裁で性同一性障害の性別変更の手術要件(2つあるうちの1つ)について違憲判断が下されましたが、その中で、公衆衛生の名のもとでの人権制約の限界を認識する上でも重要な判断が示されました。
憲法13条は、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と規定しているところ、自己の意思に反して身体への侵襲を受けない自由(以下、単に「身体への侵襲を受けない自由」という。)が、人格的生存に関わる重要な権利として、同条によって保障されていることは明らかである。
この判断からいえば、たとえばワクチン接種を意に反して強制されない自由も憲法13条で保障されていることになります。
とはいえ、無条件に保障されているわけではなく、身体への侵襲を受けない自由が絶対不可侵の、制限される余地が全くない自由だと最高裁が判断したわけでもありません。
各国において実際の施策を行う際に人権尊重原則が軽視されることは、コロナ禍を通じて明らかになった現実であり、今後も十分警戒する必要があるでしょう。
今回このパンデミック条約・IHR改定案を見ていて気づいたことがあります。「表現・報道の自由」をめぐる新たな規制を各国政府が導入する契機となり得る条文が入っているという事実です。
その点について、次に解説していきます。
【ここまでのまとめ】
筆者作成
(この後の主な内容)
▼警戒すべきは条約第18条。その内容とは
▼危険と考える3つの理由
▼誤・偽情報の判断過程と"訂正可能性"
▼誤情報の取り締まり 是としてよいのか
0 コメント:
コメントを投稿