大学との共同研究に次々失敗…世界初アニサキス殺虫装置を開発した元SEに学ぶ「成功への最短距離」
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失敗は成功のもと。そう頭では分かっていても「早く成果を出したい」と最短距離での成功を求めるあまり、トライアンドエラーを繰り返すことを遠回りに感じてしまう技術者は多いのではないだろうか。
そんなエンジニアに届けたいのが、前代未聞の「アニサキス殺虫装置」の開発に成功した、福岡にある水産加工メーカー、ジャパンシーフーズの物語だ。
水産業界が長年頭を悩まされてきたアニサキス問題に、元システムエンジニアであり、現在は同社の代表の井上陽一さんは10年以上向き合い続けてきた。
そして2021年、大学との共同研究により、ついに食品の鮮度を保ったままアニサキスを死滅させる装置の開発に成功したのだ。
「9割は失敗だったが、その積み重ねがなければ結果は出せなかった」と語る井上さん。彼は一体どのような想いで殺虫装置の開発に取り組んできたのだろうか。井上さんとアニサキスとの戦いの歴史から成果が出ず苦しい期間をいかに過ごせばいいのか、紐解いていこう。
株式会社ジャパンシーフーズ
代表取締役社長
井上陽一さん
1978年9月、福岡市出身。創価大学卒業後、2001年にシステム開発会社CSK(現SCSK)に入社。SEとして勤務した後、07年にジャパンシーフーズに入社。大阪営業所の新設、売上伸長を果たした後、13年に副社長に就任。代表取締役社長をサポートする傍ら、SEのスキルを活かして社内システム構築にも携わる。18年より現職
おいしい刺身を届けるために、冷凍以外の殺虫手法が必要だった
ーーそもそも井上さんたちは、なぜ「アニサキス殺虫装置」の開発に取り組んできたのでしょうか?
アニサキス問題は、水産業界全体が長年頭を悩まされてきた問題です。
しかも当社は、アジやサバなどの魚介類を扱う水産加工メーカーであり、扱う商品全てがアニサキスリスクを伴っています。そのため、「これは絶対に解決しなければいけない問題だ」という確固たる意思を、私は代表就任前から強く持っていました。
また2017年には、芸能人のアニサキス感染が立て続けに報道された結果、当社の取引には大きな影響が生じました。アニサキスに左右されることなく会社を経営していくためには、このままではいられない状況があったんです。
ーー苦心の末開発した「アニサキス殺虫装置」は、どのような点が画期的なのでしょうか?
アニサキスを無害化する方法として、厚労省は「マイナス20度での48時間の冷凍」を推奨しています。しかし冷凍した魚介類は、生の状態に比べるとどうしても品質が劣ってしまいます。
われわれは食品メーカーとして「一番おいしい生の状態で商品を届けたい」という思いを強く持っていたため、冷凍以外でアニサキスを無害化する方法を求めていました。
ーー確かに冷凍した魚は、解凍時にドリップが出て、風味が落ちてしまいますよね。
そうなんです。そして、さまざまな試行錯誤の結果辿り着いたのが、「パルス電流」という電気で死滅させる方法でした。開発したプロトタイプ機では、100万分の1秒という極めて短い時間に流れる高圧電流を、1秒に3発の間隔で5分間魚体に流し続けます。
通常の直流電流で死滅させようとすると、アニサキスは死んでも、魚体の温度が上がってしまいます。しかし、パルス電流は電流を流す時間が合計でも1秒未満と非常に短いため、魚体の温度がほとんど上昇しません。
つまり、パルス電流でアニサキスを殺した刺身は、ほぼ生に近い状態で美味しく安全に食べることができるんです。
ーーすばらしいですね! この装置はどのように開発されたのでしょうか?
先ほど触れた、アニサキスの過熱報道が一つのきっかけです。
それまで私たちは、サバにはブラックライトを用いて一つ一つ目視で検品していたのですが、この報道以降、アジについても同様にブラックライトで検品するよう、取引先に求められました。
しかし困ったことに、アジは量が多いため、サバのようにブラックライトが使える暗室に一匹ずつ持ち込んで検品することは不可能でした。
そこで私は、さまざまなブラックライトをアマゾンで片っ端から購入し、暗室の外でも使えるライトがあるかどうかを試しました。しかし、アニサキスを効率的に発見できるものはなかったので「だったら自分たちでブラックライトを作ってしまおう」と思ったんです。
ーー「売っていないのなら作ろう」と、考え方を切り替えたのですね。
そうです。でも、自分たちにそんなノウハウは当然ありませんから、協力してくれそうな専門家をネットで徹底的に探しました。
そして、LEDダイオードのレビューブログを運営している個人の方を見つけたので、ブログにコメントして相談してみました。すると返事がきて、なんとその方が、自分たちが求めていたブラックライトを作ってくださいました。
新しいブラックライトは蛍光灯下でもしっかりと見えるし、照射範囲も広い。このライトのおかげで、アジもサバと同じように検品できるようになりました。
ただ、これで完全に問題が解決したわけではなかったんです。
最新技術を調べ、仮説を立て、大学の研究室へ足を運び続けた
ーーブラックライトだけでは、全てアニサキスを発見することができなかったのでしょうか。
はい。表面のアニサキスは発見できても、魚体の中に入ってしまったアニサキスは見つけようがないので、新しいブラックライトで検品を始めた後も、アニサキス事故がゼロになることはありませんでした。
魚体の中のアニサキスは、「見つけて取り除く」か「そのまま殺す」しかありません。最初は「そのまま殺す」アプローチを試みようと、自分で電源装置を買って魚体に電気を流す実験をしました。しかしどうしても魚体の温度が上がってしまうため、この方向性は一旦諦めて、アニサキスを「見つけて取り除く」アプローチで検討することにしました。
例えば、レントゲンのような透過画像の技術を使えば、アニサキスを発見できるかもしれません。そう考えて、ネットで透過画像の技術について調べ始めました。近赤外線やテラヘルツ線を使えば見えるかもしれないと思い、ある研究施設に検体を送って試してもらったこともあります。しかし、アニサキスを発見することはできませんでした。
このときは3年ぐらい、透過画像の技術について毎日検索していました。新しい技術が発表されると、研究を行った大学の先生も分かるので、その先生の研究室にメールを送るんです。初めはドキドキしましたよ。大学の先生が自分の話なんて聞いてくれるのかな、と。
ーーそれで、聞いてくれた先生がいたのですか?
はい、意外とノリノリで聞いてくださった先生もいて。結局、九州大学と関西の大学とはそれぞれ1年ほど共同研究を行いました。
九州大学にアプローチしたのは、コンクリートの中の間隙を超音波で調査する手法を研究していたからです。「コンクリートの中の空洞を見つけられるなら、魚体と密度の異なるアニサキスも発見できるのでは?」と思ったのですが、結局コンクリートと空洞ほどの密度の差はなかったため、発見することはできませんでした。
実はまだ研究が続いているので守秘義務の観点から関西の大学とさせていただきますが、そこは最先端の生体イメージングを技術を持っており、「従来より高解像度な血管像を撮影できるなら魚体中のアニサキスを撮影できるのでは?」と思いアプローチしました。当時はアニサキスとはっきり分かるような像の撮影はできず、一旦打ち切りとなりました。
このほかにも、アニサキスの罹患後に服用する薬を開発していた長崎大ともコンタクトを取りました。「薬の溶液にアジを浸せば、アニサキスを殺せるのでは?」と思ったのですが、魚体の中に入ったアニサキスには効果がないことがわかり、断念しました。
万事休す……と思った矢先、「失敗」が運命の出会いを引き寄せた
ーー3大学との取り組みは、どれも結果にはつながらなかったのですね。
そうなんです。だからアニサキスを「見つけて取り除く」方向性は一旦諦めて、もう一度「そのまま殺す」方向性で考えてみることにしました。
今度は超音波で殺せないかと思い、超大型の超音波発生装置をレンタルして試してみたのですが、全然うまくいきませんでした。産業用プレス機を使って高圧力をかけてみた事もありますが、当然ながらアジが一瞬でせんべいのようになってしまいました……。
実験がうまくいかないことは分かってたんです。でも、ダメかもしれないことは全部潰していこうと思いました。ダメなことを一つ一つ確信することで、成功に近づこうと思ったんです。
ーー「見つけて取り除く」方向性は断念、「そのまま殺す」方向性も難しい……。次の一手は何だったのでしょうか?
やっぱり電気で殺すしかないと思い、今度は福岡大学に行きました。調べた結果、ここには人工雷装置があることが分かったんです。「ちまちま直流電源を当ててもダメなら、いっそ1発ドカンとでかい雷を当てたらどうなるだろう?」と思って伺いました。
たぶん私が、生の検体(アジとアニサキス)を持参したからだと思うのですが、お会いしたその日のうちに雷を1発当ててもらえることになりました。ところが、アジを入れた水槽に雷がうまく通らなくて、その実験は失敗に終わってしまいました。
残念でしたが、1時間もかけて準備していただいたことを思うと「もう一度やってください」とも言えず。念の為、実験したアジのお腹を切ってみましたが、ピンピンしたアニサキスが出てきた時は本当にがっかりしましたね。
それで、電気の方向性を追求するのは、一旦置いておくことにしました。
ーーこのときは、さすがに万事休す……だったのでしょうか。
いえ、その1年後に、奇跡が起きたんです。
雷の実験をしてくれた福岡大学の先生から、一通のメールが届きました。「熊本大学に『アニサキスを電気で殺せる』と言っている先生がいる」と。すぐにその先生にメールを送り、検体を持って伺ったんです。冒頭で紹介したパルス電流の装置を初めて目にしたのは、この時でした。
早速その装置で電流を流してもらったところ、アニサキスが死んだんです。
当日中に共同研究の話をさせて頂き、それから熊本大学と一緒にプロジェクトを進めてきました。その結果完成したのが、現在の「アニサキス殺虫装置」のプロトタイプ機です。ブラックライトの開発から、約5年の歳月を要したことになります。
ーー何度失敗しても挫けなかったからこそ、たどり着いた成果ですね。
そうですね。福岡大学での実験は失敗でしたが、その後につないでいただいた一本のメールがなければ、先生とお会いすることはありませんでした。
最後に大きかったのは「縁」ですが、それまでの「失敗」が縁を引き寄せたとも言えます。どんなに無駄に見えることも無駄にはならないんだと、この時は強く感じましたね。
SE時代の「小さな成功体験」が不屈の精神を養った
ーー自分で技術について調べて、仮説を立てて大学の先生にアプローチするなんて、誰にでもできることではないと思います。もともと井上さんは理系出身ですか?
いえ、文系ですよ。頭の中は理系かもしれませんが、将来会社を継ぐことを考えて、大学では経営学を専攻していました。
透過画像や電流の知識は自分で勉強したものなので、深く知っているわけではありません。情報収集の際は、とにかくネットをフル活用しました。
ーーそれは驚きました。前職では5年ほどSEをされていたそうですが、当時の経験が活かされたことはありましたか?
熊本大学とのプロジェクトでは、かなり役立ちました。装置がどう動くかは、全部Yes・No分岐で考えるのですが、これはプログラミングの考え方そのものです。作るものはSE時代と全然違いましたが、ものを作る上での基本的な考え方はかなり活用できました。
それに、SE時代に培った経験はもっと根本的なところでも活かされました。自分が今、二代目社長として経営ができているのは、SE時代があったからなんです。
ーーどういうことでしょうか?
やっぱり社長の息子が入社するのは、他の社員にとってはあまり面白くないことだと思うんです。「何をしても色眼鏡でみられてしまうなら、他の人が持っていない圧倒的な強みを持って入社しよう」と思い、最初の職業にSEを選びました。
ジャパンシーフーズ入社後はSE経験を活かして、社内システムを五つほど一人でフルスクラッチで作り上げました。中には見積額が5000万円ほどのシステムもあったと思います。一番しんどかったのは、3年かけて作り上げた工場の基幹システムです。正直何度も諦めかけましたが、今そのシステムは工場の業務には欠かせないものとして機能しています。
どんなに困難でも諦めずアニサキス問題に取り組めたのは、こうした「小さな成功体験」が自分の中にあったからだと思います。
ーー「小さな成功体験を重ねる」ことが、成果が出ない苦しい期間を乗り越える秘訣なんですね。井上さんとアニサキスとの戦いですが、今後はどのように考えていますか?
アニサキスとの戦いはこれからも続きます。そもそもアニサキス問題は、今まで水産業界が何十年も解決できなかった問題ですから、簡単に結果が出るとは思っていません。アニサキス問題は、私にとってライフワークのようなもの。だから、ここまで10年「も」かかったという感覚はないんですよ。
完成した殺虫装置を商業利用するためには、もっと大量に処理できる機械が必要なので、今は熊本大学と一緒に開発している最中です。これが完成すれば、お客さまはおいしい刺身を何の心配もなく食べられるようになります。
私たちの挑戦が業界全体が抱える課題の解決につながれば、こんなに嬉しいことはありませんね。
文/一本麻衣 写真/井上さん提供 編集/玉城智子(編集部)
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