漢方薬や風邪薬でスポーツ選手がドーピング反応で陽性になるというお話を聞いたことはありませんか?それは生薬“麻黄”の成分、“エフェドリン”の影響です。
私の学生時代のことですから、もう20年も昔の記憶になりますが・・・私たちの漢方の師で当時富山におられた寺澤捷年教授(現千葉大学教授 東洋医学会会長)が大学講義で“葛根湯”のこんなお話をされたことがありました。
「君たち学生諸君は、徹夜明けで試験に臨むことがあるかもしれないが、肩が凝って頭もさえない…そんな時には葛根湯を服用してごらんなさい。」
「葛根湯には麻黄という生薬が含まれていて、その学名をEphedrae(エフェドラ)、主要アルカロイド成分で“エフェドリン(Ephedrine)”が含有されている。」
「この“エフェドリン”の構造が覚せい剤である“メタンフェタミン”ときわめて似ていて…」と、名調子で麻黄の中枢神経系賦活作用についてお話が展開したことを記憶しております。
“エフェドリン”と“メタンフェタミン”…図は日本薬局方データベースから転載したものですが、いかがでしょう。とっても似ていますね。ほぼ水酸基(-OH基)一つの違いだけと言ってよいでしょう。
このように化学的に構造がとても似ていることが、スポーツ選手のドーピング偽陽性問題に関わっているのですが、“エフェドリン”のその生理活性にも注目すべき点があります。“エフェドリン”には、もちろん“メタンフェタミン”のように強力ではありませんが、やはり中枢神経・交感神経系に対して賦活作用があるのです。それゆえ製薬会社の薬剤情報には、“麻黄”の入った処方の使用上の注意の欄には一律に、“不眠・発汗過多・動悸・精神興奮…”など交感神経系への副作用の可能性が列記されていたりします(まじめに読むとちょっとびっくりしますね)。
確かに、高齢者・高血圧や甲状腺機能異常の方などでは慎重に対応するべきことはありますが、米国で問題になったような高用量のエフェドラによる重篤な副作用の事例は極めて稀なことです。それは漢方薬で用いられる“麻黄”は、経験的に安全な投与量が設定されていることと、さまざまな生薬との配合の中でその作用を発揮するように考えられているからです。
このように“エフェドリン”の作用には、“眠気覚まし的”効果があるのですが、あるとき“補中益気湯(疲労感に使う処方)”と“葛根湯”を併用したところ、これをとても気に入って「元気漢方」をまた下さい、と名付けられたチャーミングな方もおられました。受験生やビジネスマンにはドーピング検査はありませんので、「肩もこるし頭がすっきりしない」ときには、集中力を高めるのに“葛根湯”が有効かもしません。(もちろん!眠気覚ましとしての使用目的は保険適応ではありませんから、積極的にお勧めしているわけではありませんけど…。)
風邪・花粉症に麻黄剤
さて、“麻黄”はしばしば風邪の治療に用いられ、これを含有する処方を“麻黄剤”、また“桂皮(けいひ=シナモンのこと)”と組み合わせて用いられことも多いため、これを”桂麻の剤(けいまのざい)”と呼びます。“麻黄湯”・“葛根湯”・“桂枝麻黄各半湯”、そして花粉症にもよく用いられる“小青竜湯”などがあります。“エフェドリン”の鎮咳作用などで症状を緩和し、身体を温める作用でウイルスとの闘病反応を有利にすることになり生体を治癒に向かわせることになります。また薬理学的にも、“麻黄”と“桂皮”の抗ウイルス作用(ウイルスの増殖を抑える作用)が明らかにされています。
このように体の治癒力を助けるように体温を上げる作用と、眠くならずにだるさも取れるという点が、総合感冒や抗ヒスタミン薬との大きな違いと言えるでしょう。花粉症に関しても、先年、「眠くならない花粉症の薬」というキャッチコピーで、“小青竜湯”のテレビCMを見かけましたが、実はこれも“麻黄”の効果を知れば納得です。漢方薬による花粉症治療は、ただ鼻水を止めるというばかりでなく、頭がぼーっとしたあの気だるい不快なだるさも解消してくれるというわけです。
漢方薬による風邪の初期治療の原則は身体を温め、発汗させることが中心です。それゆえ、街場の薬局で温める麻黄含有の漢方薬に解熱作用を有するアセトアミノフェンを混ぜた風邪薬を売られているのを見受けますと、私たちはとても違和感を覚えるのです。身体を温めながら冷やすなんて…と。
確かに対症療法と言われる西洋薬の風邪薬も決して侮ることできず、症状が楽になって、それですっきり治ることもあります。けれどもそれは私の見解では、ある程度以上の体力があって治る力のある方、休息のとれる方のお話と思われます。平素から虚弱で風邪が治りにくい人、冷え性の人、なかなか休めず無理をしてしまいがちな方々は、症状を抑え込むだけの治療には十分に注意が必要かと思われます。
風邪ばかりはでない“麻黄”の応用
ところで“麻黄”は風邪薬ばかりにではなく、冷え性の処方である“五積散”(※これは、風邪にも保険適応があります)や、ダイエット効果で有名“防風通聖散”にも少量の“麻黄”が含まれています。冷えの改善や、脂肪燃焼効果のすべてが“麻黄”による作用ではないのですが、新陳代謝を高め温熱産生に寄与していると考えられます。
漢方薬は複雑に構成されているものも多いのですが、今回は“麻黄”に着目してみました。
冷えからくるさまざまな症状に、あるときは“桂皮”と組み、またあるときは“血の巡りを改善する生薬”や“浮腫みを改善する生薬”と組み、その効果を発揮します。
各々の生薬には生体に対して種々の効果があり、それを漢方医学では「薬能」と呼びます。今回お話の中心である“麻黄”の薬能は“発表解表・宣肺止咳・利水消腫”。“発表解表”とは、身体を温めて汗を出させる作用、“宣肺止咳”とは、咳を鎮める作用で、これらは風邪や喘息治療に有用です。そして利水消腫”は浮腫みと腫れをとる作用で、さまざまな皮膚疾患や関節炎などに応用されます。生薬はただ一つの効果によってではなく、その分量や他の生薬と組み合わせで、さまざまな薬能が引き出されます。
“麻黄”という生薬にはいくつもの顔があって、他の生薬メンバーとチームを組んだ“処方”というチームのなかで、さまざまな能力を発揮してくれるということなのです。
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