●『雨ニモマケズ 外国人記者が伝えた東日本大震災』 えにし書房 2000円+税
ジャーナリスト、脚本家、編集者。長年、米「タイム」誌などの記者を務め、「ウォールストリートジャーナル」「ニューズウィーク」「ブルームバーグ」など様々な新聞や雑誌に寄稿。著書に『Old Kyoto: A Guide to Shops, Inns and Restaurants』がある
「エコノミスト」「インディペンデント」紙の記者。クロニクル・オブ・ハイヤーエデュケーションのアジア地域特派員。社会学の博士号を持ち、母国アイルランド、英国、中国の大学で教鞭を取り、現在は上智大学講師としてメディアと政治の講義を担当している
東日本大震災と福島の原発事故から6年、原発周辺で避難指示解除が始まる一方、被災地ではなお、地震や津波、原発事故の影響に苦しみ続ける多くの人たちが「震災の記憶」の風化と戦っている。
そんな中、昨年末に一冊の本が出版された。タイトルは『雨ニモマケズ 外国人記者が伝えた東日本大震災』(えにし書房刊)。著者は英紙「エコノミスト」などの東京特派員を務める、アイルランド人ジャーナリストのデイヴィッド・マクニール氏と、米誌「タイム」などに寄稿するアメリカ人ジャーナリスト、ルーシー・バーミンガム氏だ。長年、日本で暮らすふたりが震災直後の被災地を取材し、2012年に海外で出版したルポルタージュの日本語版が約5年の時を経て出版されたのだ。
被災者たちの声を現地で拾いながら、彼らは何を感じ、何を伝えたのか? そして、震災後の日本をどのように見つめてきたのか? 前編記事に続き、「週プレ外国人記者クラブ」第68回は、マクニール、バーミンガムの両氏に話を聞いた――。
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─「雨ニモマケズ」という宮沢賢治の詩が本書のタイトルになっていて、文中でも何度か、賢治の詩や言葉が引用されていますね。
マクニール 俳優の渡辺謙さんが東北の被災者たちを励ますために「雨ニモマケズ」を朗読したのをきっかけに、宮沢賢治の作品を読み始めました。そして、岩手出身で科学者でもある賢治が100年近く前に「人間と自然の共生」を意識する視点を持ち、東北の人たちから愛されている文学者であることを知りました。その精神性が震災に直面し、そこから立ち直ろうとしている被災者の人たちと重なって見えたのです。
─被災地で日々、厳しい状況に直面している人たちを取材することは日本人の記者にとっても簡単なことではないと思います。外国人記者にとっては、さらに難しい部分もあったのではないですか?
バーミンガム それはどうでしょう。被災者の方々にとっては逆に「相手が外国人だから、返って伝えやすかった」という部分もあったように感じました。愛する家族や大切な家、故郷を失った人たちは皆、心の内側に大きなストレスを抱えていて、その悲しみや苦しみを他の誰かとシェアしたいと感じている人も多い。例えば、私が取材したウワベ・セツコさんはまさにそうで、相手が外国人であるということでストレートな気持ちを吐き出しやすかったようにも見えました。
マクニール それに加えて、インタビューする僕たちの日本語が完璧じゃないから、シンプルな質問の仕方になって、取材に応じる側も僕たち外国人にわかりやすいように「僕のお父さん、津波で亡くなりました、哀しい気持ちでした…」みたいに、シンプルでストレートな言葉を選んで答えてくれました。だから、僕たちの日本語が完璧じゃない分、率直な気持ちが伝わってきやすいという面もあったんじゃないかな。
─震災に関する、日本や海外のメディアの報道のあり方については、どんな風に感じていますか?
マクニール まずひとつ言っておきたいのは、あの震災の報道に関して、海外メディアにも国内メディアにも真剣に反省すべき点があるということです。海外メディアの多くは事態を過大に誇張して報道する傾向があったし、逆に日本国内の大手メディアは「大丈夫、大丈夫」と状況を鎮静化することばかり考えて、結果的に重要な情報を隠してしまっていた。これはどちらも問題だったと思います。
「情報を隠した」という意味で最も象徴的だったのは、福島第一原発の「メルトダウン」でしょう。原子炉の温度が下がらず、水蒸気爆発を起こして大量の放射性物質が大気中に放出された。原子力の専門家たちがメルトダウンを疑う状況でもなお、東京電力は「メルトダウン」という言葉を避け続けた。東電の会見で一度だけメルトダウンに言及した時も、それをすぐに撤回した。その後はメディアも横並びでメルトダウンの可能性を無視し続けていました。
その後の大手メディアは、ただ単に政府や東京電力の公式発表を垂れ流すだけで、自分たちから事実を検証することすらせず、いわゆる「発表報道」ばかりになってしまった。元「ニューヨークタイムズ」東京支局長のマーティン・ファクラーさんは「あの時、日本の大手メディアがメルトダウンしたのだ」と語っていましたが、まさにその通りだと思います。
もうひとつ驚いたのは、原発事故で立ち入り禁止となったエリアなどを日本の大手メディアが一種の「協定」を結んで、誰も取材しようとしなかったことです。そういう危険な地域で取材していたのは、日本人のフリージャーナリストか外国人記者だけでした。
─基本的に危ないところには行かないという形で、ライバル他社とも一種の協定を結んでいた、と。危ない仕事はフリーランスに任せるという姿勢は、戦場や紛争地の報道でも近いものがありそうですね。ところで、この本の英語版が海外で出版されたのは2012年。そこから4年以上の時が経っているわけですが、その後の日本の状況をどう見ていますか?
バーミンガム 未だに困難に直面する人たちが大勢残されているのに、震災の記憶が薄れ、被災者たちに関する報道が徐々に減っていることはとても残念だと思います。
もっと残念なのは、あれだけの大地震に加え、原発事故という未曾有の悲劇を経験しながら、今の日本が震災前と同じようなエネルギー戦略の下で原発再稼働を進めていることです。私は、あの原発事故を経験したことによって、日本でももっと代替エネルギー、再生可能エネルギーへのシフトが進むと思っていたのですが、現実にはそうならなかった。これは大きな驚きでした。他の国が同じような事故を経験したら、少なくとも今後のエネルギー政策について、抜本的な見直しをするのは当然のことだと思います。
マクニール 津波への対策も、海岸沿いに巨大なコンクリートの防潮堤を建設するという残念な方向に進んでいて、もはや津波の対策と大型の建設工事需要、どちらが真の目的なのかもわからなくなりかけている気がします。原発再稼働に向けた動きが象徴しているように、3.11という悲劇を経験しながら、日本がこれまでの歩みを振り返り、この国のあり方を見直すことのないまま、むしろ逆の方向に押し戻されているのは残念なことですね。
バーミンガム 被災者の方たちの取材を通して、深い悲しみを背負いながら、お互いに助け合い、前を向いて必死に生きようとする日本の人たち、そして日本に住む外国人たちの姿に私たちは何度も心を動かされました。その一方で、デイヴィッドが言うように震災後の日本がこの国のあり方を見直さないまま今に至っていることには大きな失望を感じます。その意味では、震災の取材を通じて日本のポジティブな側面とネガティブな側面の両方を改めて目の当たりにしたような気がします。
─この本はどんな人に読んでほしいですか? また、あの震災を「外国人ジャーナリストの視点から語る」ということに、どのような意味があると考えていますか?
バーミンガム 何よりもまず、若い世代の読者に読んでほしいと思っています。あの震災で何があったのか、家族や友人の死と直面した人たちが、どんな想いの中で、どんな風に生きていたかということを彼らの言葉で「知る」ことが、若い人たちが「なぜ?」という疑問を持ち、そこから考えることに繋がるための大切な第一歩になると思うからです。
あの震災を経験した、異なる立場の人々の言葉を私たちのような外国人ジャーナリストというもうひとつの異なる視点を通じて振り返ることによって、3.11という辛く、哀しい出来事について若い読者が新たな発見をしてくれれば嬉しいです。
マクニール あの震災をきっかけに「このままでいいのかな?」という疑問を持ち、考え始めている日本人も多い。実を言うと、この本も僕たちが日本語版の出版を企画したのではなくて、PARC(アジア太平洋資料センター)という日本の市民団体の読書会に参加するメンバーの人たちがボランティアで日本語に訳してくれたもので、僕たちは突然「日本語訳ができているのですが」と言われて驚いたほどです。
バーミンガム 皆さん本当に素晴らしい人たちで、素晴らしい翻訳をしていただいたことに心から感謝しています。PARCの読書会の皆さんがいなかったら、こうして日本語版が出版されることはなかったと思います。
そして、この本のために自らのつらい経験を語っていただいた方々、この本で扱った6人だけでなく、本当に多くの人たちとの出会いと協力があったことに心から感謝しています。そうした人たちの想いが、この本を通じてひとりでも多くの読者に伝わればいいなと願っています。
(取材・文/川喜田 研)
●デイヴィッド・マクニール
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