2016年7月5日火曜日

これから遺伝子は、もっとも雄弁な、 自分の未来の“語り部”になる


No.007
──高橋祥子

コンシューマー向けの遺伝子解析キットを提供するジーンクエストの高橋祥子は、サーヴィスで得たデータで医療分野のドライヴを目論む。遺伝情報は、これからの未来を生きてゆく上で欠かせない情報となるからだ。しかし、そこには被験者が抱える倫理感の壁も立ちはだかってくる。研究者と経営者、相反する立場を両立させる高橋は、この問題をどう解決するのか。

PHOTOGRAPHS BY YUYA WADA
TEXT BY AKIHICO MORI

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高橋祥子|SHOKO TAKAHASHI
1988年生まれ。大阪府出身。2010年京都大学農学部卒業。東京大学大学院農学生命科学研究科博士課程在籍中に起業。DNAチップを使ったゲノム解析によって、病気のリスクや体質に関するゲノム情報を知らせるサーヴィスを展開中。genequest.jp/

2型糖尿病や慢性B型肝炎、C型肝炎誘発肝硬変、円形脱毛症、アトピーの発症などの健康リスク、アルコール依存とニコチン依存両方の依存症、腰のくびれ、細胞寿命に影響を与えるテロメアの長さなどの体質、さらには自分の祖先が地球のどこから来たのか──これらは、Amazonでも購入可能な「ジーンクエスト」の遺伝子解析キットで知ることができる。

ジーンクエストは、約290項目の疾病・体質リスクに関わる遺伝情報をコンシューマー向けにビジネスとして提供するほか、解析によって得られた大規模なゲノムデータを活かし、これからの医療、生命科学を前進させる研究開発を行っているヴェンチャーだ。

これからわたしたちはどのように遺伝子情報と向き合い、人生を歩んでゆくのだろうか。日本初となる個人向け大規模遺伝子解析サーヴィスの仕掛け人、ジーンクエスト代表取締役・高橋祥子に聞く。

──高橋さんはどのようにして研究とビジネスを両立させた、ジーンクエストの事業を生み出そうと考えたのでしょうか?

わたしは、東京大学大学院で大規模な遺伝子解析を活用して生活習慣病の予防メカニズムについて研究していました。大学院にいた頃は遺伝子とは何か、生命とは何かを解き明かしたいという想いをもって研究を行っていました。その研究成果を社会に持続可能な形で役立てる仕組みを自分でつくりたい、と感じたことがジーンクエストを起業したモチベーションです。

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大学院にいた頃、遺伝子情報を適切に活用してゆく仕組みが現代に無いことに大きな危機感を抱いていました。ゲノム解析のコンシューマー向けサーヴィスの登場は、2003年にヒトゲノムが解読されたときから、とくに研究者の間では想定されており、未来では遺伝子情報の活用が社会的に進むことも容易に想像できました。その未来の到来を早めるためには、遺伝子情報におけるサイエンスをもっと加速する必要がある。

サイエンスの発展に影響を与えるものは、大きく分けて資本と人材です。研究費という資本があり、研究に携わる優秀な人材がたくさんいれば、研究を進め、技術を発展させることができる。それが結果として、サイエンスを加速させます。

サイエンスを加速するためには、資本と人材を同時に巻き込める仕組みをつくる側になる必要があると感じ、コンシューマー向けの遺伝子解析をビジネスとしながら、遺伝子情報において、特化した社会的研究を行うことのできるジーンクエストをつくったのです。

──昨年はヤフーの健康関連プロジェクト「HealthData Lab」において、1万人の日本人に特化した遺伝子解析を行われていますね。

「HealthData Lab」のプロジェクトを通して得た1万人分のデータは、ゲノムデータとしては世界最大クラスの規模です。現在公開されているゲノムのデータベースは、国際プロジェクトでも100〜1000人程度であることに比べれば、その規模の大きさが分かっていただけると思います。しかも個人情報の保護などのセキュリティー面をユーザーの同意のもとにクリアした、研究に再利用できるデータである点が特色です。

これまでの機関の研究は、特定の疾患の原因となる遺伝子究明のためにデータを集めたら、ほかの目的で再利用することはできませんでした。よって、研究費がつかない緊急性の低いもの、たとえば性格と遺伝子の関係性などはあまり研究されてこなかった。ジーンクエストでは、再利用可能な遺伝子の大規模データを使い、緊急性の低いものとそうでないもの、お金になるものとならないものを含め、遺伝子の研究をより多角的に進めていきたいと思っています。

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さらにわたしたちはゲノムデータを集めるほかに、アンケートでその人の属性情報を得ています。病歴、喫煙や飲酒の習慣の有無、食事習慣、ストレスなどの個人の属性情報と遺伝子情報を紐付けて、関係性を探ることでいま、いろんなことが分かってきています。まだ公にできないのですが、学会発表の準備を進めているものもあります。

──ジーンクエストの研究・ビジネスの面白さとは何ですか?

わたしたちの研究は「データ・ドリヴン」、つまり大規模なデータを扱う研究であることが特色であり、自分たちの予想や仮説を超える発見が生み出せることが何よりの面白みです。

これまでの研究の基本的な方法は、知識と研究実績のある専門家が、経験に基づいて仮説を立て、検証を繰り返して成果に結びつけるものがほとんどです。わたしたちは、そうした属人的なアプローチではなく、データ分析によって人の能力を超えた次元で成果を出してゆくことが可能です。これまでの研究とは大きく異るスピードで成果を上げてゆくことができると感じています。

それにゲノムの解析器「DNAシーケンサー」にもイノヴェイションが起こりつつあります。ヒトゲノムが解読された2003年の時点では10年くらいかかっていた解析も、現在は3日まで短縮されました。いずれは15分程度でゲノム全体が読める、低コスト・省スペースの解析器が生まれるでしょう。アフリカの奥地に棲む未知の生物のゲノムを現場で読み取り、情報だけをメールで送信できるような未来も、きっと遠くはありません。

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──今後、遺伝子情報はどんなところで活用が進み、新しい発見をもたらすのでしょうか?

非常に多岐にわたりますが、たとえば「ポジティヴ遺伝子」とよばれる遺伝子についてはまだ研究が進んでいませんが、面白い領域でしょう。

100%発症する、重篤な遺伝病の遺伝子があります。しかし不思議なことに、その遺伝子を持っていても、なぜか発症しない人がいる。もしかして遺伝子におけるネガティヴな因子を打ち消す、ポジティヴな因子を持つ遺伝子があるのではないか、という仮説があるのです。これまではネガティヴな因子を持っている遺伝子ばかりが調べられてきましたが、視点を変えてみることで、遺伝子の全く異なる理解が生まれるかもしれないのです。もっともこの研究は、倫理的なハードルが高い研究ではあります。重篤な遺伝病の遺伝子を持っている人に研究への協力を願うのは、重病の宣告と同義だからです。

──自分の身体がこれから未来に経験することを予測し得てしまうことについて、眉をひそめる人もいるのかもしれません。遺伝子解析がさらに進歩する未来、人の倫理観はどのように進歩すべきなのでしょうか?

まず倫理というものは、サイエンスや技術革新が生まれた後に、人々の意見によって相対的に決められるもの。結果的に倫理は、サイエンスを後追いするのです。そして遺伝子解析の領域におけるサイエンスの発展はあまりに急速で、倫理が追いつく頃にはすでに新しい技術革新が生まれています。この領域では、これまでのサイエンスとは大きく異なる速度で事態が進行していることをまず知る必要があります。
その上で、遺伝子による社会的差別の発生などの新たなリスク、個人情報である遺伝子情報の管理の仕方などが適切に議論される必要があると感じています。

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──10年後には遺伝子解析も人間ドックの一項目になっていたりするのでしょうか?

おそらくそうなっているでしょうが、コンシューマーがお金を払っていないかもしれません。遺伝子検査によって得られる情報は、企業にとって大きな価値があります。検査サーヴィスそのものよりも、検査後のサーヴィスに価値の源泉が移行してゆくのではないでしょうか。保険会社のビジネスなどにも大きな影響を与えるでしょう。

──遺伝子解析の技術が進むことで、わたしたち人類はさらに幸せになれるのでしょうか?

未来が分かることが幸せかどうかの議論には、時間の視点を適切に持つ必要があります。たとえば寿命が150歳になったら人は幸せになるのか、といった議論がなされますが、多くの議論に欠けているのは時間の概念です。多くの人は、いまの時代にいきなり寿命を150歳に伸ばす技術が現れたという前提で議論をしがちです。

しかし現実には、その技術が生まれ、定着するにも長い時間がかかります。その間に人間は適応していくものであり、自分が150歳になる頃には、幸せになる方法を自分なりに探しているものです。遺伝子情報における幸せの議論も同様で、時間の視点を正しく持った上でなされるべきだと感じています。

これからはゲノムだけではなく、様々な生体情報が取得され、生命がどんどん可視化されていきます。それらの情報を使って医療や健康をコントロールできるようになっていく未来はもう想定内なのです。

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