ポイント
- がん転移などに関与するV1回転分子モーターの詳細な分子メカニズムはこれまで解明されていなかった。
- 異なる2種類の構造を解明し、ATPのエネルギーが回転運動に変換される分子メカニズムモデルを提案した。
- V1回転分子モーターを阻害できれば、がん転移や骨粗しょう症の治療薬の開発につながるものと期待される。
JST 戦略的創造研究推進事業において、千葉大学 大学院理学研究科の村田 武士 教授と鈴木 花野 特任研究員らの研究グループは、たんぱく質ナノモーター注1)であるV型ATPaseでATPのエネルギーが回転運動に変換されるメカニズムを原子レベルで明らかにしました。
V型ATPaseは、細菌から人間まで多くの生体膜中に存在し、ATPのエネルギーを使って水素イオンを膜の外から中に運ぶことで膜内外の水素イオン濃度(pH)を調整しています。がん細胞や破骨細胞注2)の細胞膜にも存在し、がん細胞の増殖と転移や骨粗しょう症に関与する重要な創薬標的たんぱく質ですが、詳細な分子メカニズムは解明されていません。
ATPの加水分解と連動して、V型ATPaseの中心軸が回転することで水素イオンを輸送します。本研究グループは、回転分子モーター部分のX線結晶構造解析注3)により、「ATP結合待ち」および「ADP解離待ち」という2種類の新しいスナップショット構造注4)を得ることに成功しました。
これにより、ATPのエネルギーが回転運動に変換されるメカニズムが原子レベルで明らかになり、さまざまなたんぱく質ナノモーターによる生体エネルギー変換メカニズムの理解が進展すると期待できます。 がん転移や骨粗しょう症の原因解明や、V型ATPaseのモーターの回転を阻害する方法の予測が可能となり、たんぱく質の立体構造に基づいた治療薬の開発につながるものと期待されます。
本研究成果は、2016年10月27日(英国時間)に英国科学誌「Nature Communications」のオンライン速報版で公開されます。
本成果は、以下の事業・研究領域・研究課題によって得られました。
戦略的創造研究推進事業 個人型研究(さきがけ)
研究領域 | ライフサイエンスの革新を目指した構造生命科学と先端的基盤技術 (研究総括:若槻 壮市 米国SLAC国立加速器研究所 光科学部門 教授、スタンフォード大学 医学部構造生物学 教授) |
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研究課題 | 膜超分子モーターの相関構造解析による分子メカニズムの解明 |
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研究者 | 村田 武士(千葉大学 大学院理学研究科 教授) |
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研究実施場所 | 千葉大学 大学院理学研究科 理学4号棟 |
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研究期間 | 平成24年10月~平成30年3月 |
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<研究の背景と経緯>
V型ATPaseは、細菌から人間まで多くの生体膜中に存在し、ATPのエネルギーを使って水素イオンを膜の外から中に運ぶことで膜内外の水素イオン濃度(pH)を調整しています。がん細胞や破骨細胞の細胞膜にも存在し、がん細胞の増殖と転移や骨粗しょう症に関与していることが分かっています。そのため、V型ATPaseの分子メカニズムを知ることは、これらの疾病原因の解明につながり、V型ATPaseの阻害剤は治療薬として期待されています。V型ATPaseは、水溶性たんぱく質のV1部分と膜たんぱく質のV0部分から構成されています(図1)。V1部分にはヌクレオチド注5)が結合できるサイトが3カ所あり、そこで順々にATPを加水分解することと連動して中心軸が回転し、これに伴いV0部分で水素イオンを輸送します。
最近、本研究グループは、ヒトV型ATPaseによく似た腸球菌V型ATPaseのV1部分(A3B3DF複合体)の詳細構造をX線結晶構造解析によって明らかにしました(Arai S. et al. 2013, Nature, 493, 703-707.)。得られたV1-ATPaseの3カ所のヌクレオチドが結合するサイトは、ATPが結合できない「ATP非結合型」、ATPが結合している「ATP結合型」、ATPが加水分解を待っている「ATP分解型」の異なる構造状態で形成されていました。
「ATP分解型」の状態が存在することから、このV1-ATPaseの構造は「ATP加水分解待ち」のスナップショット構造であると結論しました。V1-ATPaseの回転メカニズムを理解するためには、ATP加水分解後の構造変化を知ることが必須となります。そこで本研究では、ATPの加水分解後の異なるスナップショット構造を得ることを目的に、ATP加水分解で生じるADPやリン酸が結合したV1-ATPaseのX線結晶構造解析を行いました。
<研究の内容>
ヌクレオチドが結合していないV1-ATPaseの結晶を低濃度、または高濃度のADP溶液に漬け込むことで、異なる2種類のV1-ATPaseのX線結晶構造を得ることができました(図2)。
低濃度のADP存在下で得られた構造(図2a、b)と既知の構造(図2e)を比較したところ、ATPの加水分解待ちの「ATP分解型」にADPが結合することで、新しいフォーム「ADP結合型」への構造変化が引き起こされ、その影響で、中心軸DF複合体を含め、全体的に構造が変化していました。ATPが結合できない「ATP非結合型」は、ATPが結合できる新しいフォーム「ATP待機型」に構造変化していました。このことから、低濃度のADP存在下で得られたV1-ATPaseは「ATP結合待ち」のスナップショット構造であると結論しました。
高濃度のADP存在下で得られた構造(図2c、d)には、3つのヌクレオチド結合サイトすべてにADPが結合していました。特筆すべきは、前述の「ATP待機型」のヌクレオチドが結合できる部位に、ADPと、リン酸の類似体であるSO42-が結合していたことです。これにより「ATP待機型」は閉じていき、新しいフォーム「ATP半結合型」への構造変化が引き起こされ、中心軸を含む全体構造が変化していました。従って、高濃度のADP存在下で得られたV1-ATPaseは「ADP解離待ち」のスナップショット構造であると結論しました。
また、ATPの類似体で加水分解しないAMP-PNP注6)や、リン酸が結合したV1-ATPaseの結晶構造も明らかにしました(図3)。これらの構造は2013年に得られたV1-ATPaseの構造と同じであり、AMP-PNPやリン酸の結合では構造変化が引き起こされないことが明らかになりました。
以上の成果を統合すると、V型ATPaseでATPのエネルギーが回転運動に変換されるには、まず「ATP加水分解待ち」構造(図4左上)の「ATP分解型」に結合しているATPがADPとリン酸に加水分解した後、リン酸が解離してADPのみが結合した状態になることでV1-ATPaseの構造変化が起こり、「ATP結合待ち」構造(図4右上)になると考えられます。生じた「ATP待機型」にATPが結合することにより、さらに構造変化が起こり、「ADP解離待ち」構造(図4右下)になります。最終的にADPが解離することで、回転軸が120度回転し、最初の「ATP加水分解待ち」構造(図4左下=左上)に戻るという分子メカニズムモデルを提案することができました。
<今後の展開>
本研究でV1-ATPaseの2種類の新しいスナップショット構造が解明されたことにより、ATPが加水分解された後の構造変化やヌクレオチドとの親和性の変化など、多くの情報を理解することができました。これにより、V型ATPaseだけでなく、さまざまなたんぱく質ナノモーターを含む生体エネルギー変換メカニズムの一般原理の理解が進展するものと期待できます。また、V1-ATPaseの回転の詳細な分子メカニズムの解明により、V1-ATPaseと関連するがん転移や骨粗しょう症などの疾病原因の理解と、回転の阻害による治療薬の開発につながることが期待されます。
<参考図>
図1 V型ATPaseの構造モデル
V型ATPaseは9~13種類のたんぱく質からなる超分子複合体で、水溶性たんぱく質部分(V1部分)と膜たんぱく質部分(V0部分)からなる。触媒頭部(A3B3;青色と紫色の6量体)でATPを加水分解し、赤い点線で囲まれた回転軸(DFd)とローターリング(c)を回転させ、水素イオンを細胞外(またはオルガネラ内)へ輸送する。
図2 ADPが結合したV1-ATPase(A3B3DF複合体)のX線結晶構造
- a) 横から見た低濃度ADP存在下のV1-ATPaseの結晶構造。
- b) 上から見た低濃度ADP存在下のV1-ATPaseの結晶構造。見やすくするためにA3B3複合体のC末端ドメイン、Dサブユニットのみを表示している。3カ所あるヌクレオチド結合サイトを赤い矢印で示した。
- c)、d) 高濃度ADP存在下のV1-ATPaseの結晶構造。表示方法はa)、b)と同様。
- e) 上から見たヌクレオチドが結合していないV1-ATPaseの結晶構造。表示方法はb)と同様。
図3 AMP-PNPまたはリン酸が結合したV1-ATPaseのX線結晶構造
- a) 横から見た高濃度AMP-PNP存在下のV1-ATPaseの結晶構造。
- b) 上から見た高濃度AMP-PNP存在下のV1-ATPaseの結晶構造。見やすくするためにA3B3複合体のC末端ドメイン、Dサブユニットのみを表示している。3カ所あるヌクレオチド結合サイトを赤い矢印で示した。
- c)、d) リン酸存在下のV1-ATPaseの結晶構造。表示方法はa)、b)と同様。
図4 V1-ATPaseの分子メカニズムモデル
上から見たV1-ATPaseのスナップショット構造(左上と左下:「ATP加水分解待ち」構造、右上:「ATP結合待ち」構造、右下:「ADP解離待ち」構造)。見やすくするためにA3B3複合体のC末端ドメイン、Dサブユニットのみを表示している。3カ所あるヌクレオチド結合サイトを赤い矢印で示した。V型ATPaseでATPのエネルギーが回転運動に変換されるには、まず「ATP加水分解待ち」構造(左上)の「ATP分解型」に結合しているATPがADPとリン酸に加水分解した後、リン酸が解離してADPのみが結合した状態になることでV1-ATPaseの構造変化が起こり、「ATP結合待ち」構造(右上)になると考えられる。生じた「ATP待機型」にATPが結合することにより、さらに構造変化が起こり、「ADP解離待ち」構造(右下)になる。最終的にADPが解離することで、回転軸が120度回転し、最初の「ATP加水分解待ち」構造(左下=左上)に戻るという分子メカニズムモデルを提案した。
<用語解説>
- 注1) たんぱく質ナノモーター
- 生物の細胞内でATPの加水分解によって得られたエネルギーを、機械的な運動に変換するナノメートル(10-9メートル)程度のたんぱく質複合体の総称。
- 注2) 破骨細胞
- 骨構築する過程において、骨を破壊(骨吸収)する役割を担っている細胞のこと。
- 注3) X線結晶構造解析
- 解析対象のたんぱく質を結晶化し、X線照射によって得られる回折データから、たんぱく質の原子レベルでの立体構造を決定する手法。
- 注4) スナップショット構造
- たんぱく質が機能するときの動的な構造変化の中の1つの静止構造のこと。
- 注5) ヌクレオチド
- 塩基、糖、リン酸から構成される物質で核酸の構成単位。ATP、ADP、AMP-PNPなどを含む。
- 注6) AMP-PNP
- ATPの非分解性の類似体。β—とγ—リン酸間が窒素原子に置き換わっているため、加水分解反応が阻害される。
<論文情報>
“Crystal structures of the ATP-binding and ADP-release dwells of the V1 rotary motor”
(V1回転モーターの「ATP結合待ち」および「ADP解離待ち」のスナップショット構造)
doi :10.1038/ncomms13235
<お問い合わせ先>
<研究に関すること>
村田 武士(ムラタ タケシ)
千葉大学 大学院理学研究科 教授
〒263-8522 千葉県千葉市稲毛区弥生町1-33
E-mail: <JST事業に関すること>
川口 哲(カワグチ テツ)
科学技術振興機構 戦略研究推進部 ライフイノベーショングループ
〒102-0076 東京都千代田区五番町7 K’s五番町
E-mail: <報道担当>
科学技術振興機構 広報課
〒102-8666 東京都千代田区四番町5番地3
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〒263-8522 千葉県千葉市稲毛区弥生町1-33
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