軍事は事実とデータをもとに分析する対象
【軍事アナリスト・小川和久】日本人に足りない外交・安全保障の知識
2016/4/1
本日から軍事アナリストの小川和久氏がプロピッカーとしてNewsPicksに参加する。軍事アナリストとはそもそもどのような職業なのか。また、小川氏が「ビジネスパーソンも外交・安全保障(軍事)・危機管理の知識をしっかり持つべき」と考える理由とは。小川氏からの寄稿を掲載する。
私のキャリア
NewsPicksにデビューするにあたり、私がどんなキャリアなのか、どんな仕事をしているのか、簡単にご説明しておきたいと思います。
私が歩んだ道は、著者略歴風に書くと以下のようになります。
陸上自衛隊生徒(少年自衛官)教育隊・航空学校修了。同志社大学神学部中退。地方新聞記者、週刊誌記者などを経て、日本初の軍事アナリストとして独立。
少年自衛官というのは1955年から2010年3月まであった自衛隊の制度で、15~16歳で入隊し、基本的には4年間の教育のあと3等陸曹に任官し、自衛隊の土台の部分を支える陸曹や3等陸佐以下の幹部(将校)として勤務するケースがほとんどです。
高校の教育は神奈川県立高校の通信制を併学します。中には防衛大学校に進んだり、陸曹(下士官)として勤務しながら大学夜間部や通信制で学び、方面総監まで昇進した人も少なくありません。陸上自衛隊の将官(企業の役員以上に当たります)の3分の1ほどが少年自衛官の出身者です。
現在は高等工科学校生徒として、防衛大学校と同じ学生というかたちで存続しています。
私は外交官か弁護士になりたいということで、東京大学法学部に進むことを思い描いていましたが、戦後の財産処理がうまくいかず、母親が病気になったこともあり、合格していた高校への進学を諦め、仕送りをするために少年自衛官になりました。
1961年当時の初任給4900円のうち3000円を仕送りしましたが、2010年段階の少年自衛官の給料(約16万円)で考えると月額10万円ほどに当たります。
3年終了時に防衛大学校に進むことを勧められましたが、当時は理工系しかなく、どうしても文系の勉強をしたいということで退職したわけです。
同志社大学神学部に進んだのは、西欧的思考の根底にあるキリスト教の世界を実際に知りたいという問題意識だけでなく、回り道をして年をくっていることもあり、将来は教授になるという希望を述べて、入学を認められました。もちろん、学科試験に合格してのことですが、就職口を兼ねて考えていたわけです。
鳥取県の地方新聞(日本海新聞)の記者になったのは、「大学当局に反抗して」というと格好いいですが、授業料未納で除籍(同志社は処分ではありませんが)になったからです。
その日本海新聞が創刊94年目にして倒産したこともあり、東京に出てきて講談社の「週刊現代」の記者として拾ってもらい、足かけ9年間、硬派(政治、社会問題)を担当したあと、軍事アナリストとして独立しました。
日本初の軍事アナリスト
このように、私は何か思想的な理由があって自衛隊や神学部に進んだのではなく、すべてが生活のため、もっと言えば動機が不純だったと反省しております(笑)。
講師紹介などで「日本初の軍事アナリスト」とあるのは、間違いありません。私は記者時代から、欧米諸国の専門的な文献などに「軍事アナリスト」という肩書が出てくる一方、日本では存在していないことに疑問を抱いていました。
考えてみれば当たり前のことで、国家の存亡と国民の生命を左右する軍事は事実とデータをもとに分析する対象であり、批評や評論というかたちで感想を述べる対象ではないからです。
それにもかかわらず、日本ではいまだに「軍事評論家」なる肩書が幅を利かせ、常識となっています。私は考えました。日本の安全保障に関する議論は、客観的な事実をもとに冷静な分析をし、論理的に考えるという世界の常識が理解されていない結果、つまり評論家の仕事になってしまっていることで、非科学的かつ情緒的に流れてきたのではないか。
それは結果的に日本の平和と繁栄を阻害することにつながるのではないか。小説『レッド・オクトーバーを追え』でデビューしたアメリカの作家トム・クランシーの多くの作品に主人公として登場するジャック・ライアンが軍事アナリストであったのはご承知の通りです。
外交・安全保障・危機管理
軍事が評論家の仕事ではなく、アナリストの仕事だということはご理解いただけたと思いますが、いまひとつ日本のビジネスパーソンに知っておいていただきたいことがあります。
それは、外交・安全保障(軍事)・危機管理という3つの分野は、世界のどこに出しても通用する国際水準を満たしているもの以外はゼロ点の世界だということです。対応を間違えれば、国や会社がつぶれるかもしれないからです。
そこにおいては、常に国際水準にあるかどうかをチェックし続けなければならないのですが、日本の場合、かたちだけ整えて自己満足の世界に浸り、実際に機能するかどうかの検証を怠る傾向にあり、国も会社も常に危機にさらされているという現実があるのです。
象徴的な一例を挙げれば、昨年4月に起きた首相官邸ドローン落下事件があります。その3カ月前にアメリカのホワイトハウスにも同じドローンが落ちた事件があったのに、日本の警備当局はなんの対策も施していなかったのですから、これは叱責されても仕方ありませんが、それだけではありません。
私は2002年3月26日、完成間近の首相官邸のセキュリティチェックを行い、空からの攻撃への備えを求めたのですが、そのときも警備当局はなんの手も打たなかったのです。
私と一緒にチェックしたキャリア官僚は、1人は総務省消防庁長官、1人は国土交通省の技監となりましたが、2人ともあきれかえっていたことは間違いありません。
世界の平和と日本の安全
また、世界の平和がなければ日本の安全は高まらないし、世界が平和で、かつ日本の安全が確かであって初めて、世界を舞台とする日本企業の経済活動も可能になるという点も忘れてはなりません。ビジネスパーソンが心すべきは、世界の平和と日本の安全が自社の繁栄と密接な関係にあるということです。
安全保障に疎い日本人を象徴しているのは、集団的自衛権をめぐる議論かもしれません。集団的自衛権の行使容認について、それを憲法違反だとする声がありますが、これも物事を論理的に考える習慣が存在しない結果なのです。
まず第一に、日本国の最高法規である憲法は、アメリカとの日米安全保障条約の締結も、国連加盟も否定していません。そして、国連憲章第51条はどの国にも個別的ならびに集団的自衛権があることをうたっていますし、日米安保条約も同じ考えを内包しています。
それを前提として1972年に「日本も国際法上の集団的自衛権を持っているけれども、憲法9条に照らして行使は許されない」、つまり「権利はあれども行使せず」という政策判断が行われたわけです。
それから40年以上を経て国際的な安全保障環境も変わり、世界平和に対する日本の責任と役割も大きくなっています。そこにおいて、持っている集団的自衛権を使って世界平和と日本国の安全を確かなものにしようという政策判断が行われるのは、おかしなことではないし、憲法問題ですらないのです。
それに、日本国憲法の性格を決めているのは第9条ではなく、最初に置かれた前文なのです。憲法学者を中心とする人々の多くが、その現実を忘れて第9条をめぐる議論に明け暮れています。これは日本人が陥りがちな「木を見て森を見ず」を絵に描いたような光景でもあります。
日本国憲法の前文は、基本原則として国民主権、基本的人権、そして平和主義を掲げています。その平和主義の部分は、世界の平和を実現するために行動することを誓うという趣旨を誇り高くうたっています。
そうなると、少なくとも国連平和維持活動(PKO)に部隊を出せる規模の軍事力を持つことが必要になるのですが、第9条の条文通りだと、いかなる軍事組織も持てないことになります。
それを誤魔化しながら、自衛隊という強力な軍事組織を保有してきたわけですが、そうした欺瞞(ぎまん)に別れを告げ、前文との整合性を備えた第9条にしていくことが求められることはいうまでもありません。
憲法違反というのであれば、自衛隊の保有や集団的自衛権の行使容認ではなく、第9条こそ前文と齟齬(そご)を生じている点で憲法違反だという指摘に、正面から向き合う必要があると思います。
集団的自衛権と集団安全保障の混同
以上のような自覚に欠ける結果、ビジネスの世界と外交・安全保障・危機管理は別物で、自分たちには関係ないし、知る必要もない、軍事は自衛隊に任せておけばよい、という傾向が生まれてはいないでしょうか。
そこにおいては、政界や官界、経済界、学界、マスコミを通じて、一定の軍事知識を備えた専門家が非常に限られ、変人やマニア扱いされる傾向が生まれてくるのも致し方ないのかもしれません。
しかし、その結果として深刻な事態が生まれていることは肝に銘じておくべきでしょう。
一例は、集団的自衛権と集団安全保障の混同です。言葉が似ているから混同が生まれるのも致し方ない面もあるのですが、外務省の元事務次官が混同していたり、朝日新聞が1面トップで誤報(私の指摘により1年後に訂正しましたが)したりするとなれば、事態は深刻と言わざるを得ないのです。
今、世界の安全保障環境は2つの流れが同時進行している状態にあります。1つは、国家主体(国)同士の戦争は起きにくくなっているという流れで、これと関係するのが集団的自衛権の行使容認などにより国家の安全のために同盟国などの力を活用し、抑止効果を高めていく取り組みです。
一方、国家主権や同盟関係とは関わりなく、世界の平和を乱す問題に各国が協力して取り組んでいくPKOに代表される集団安全保障の流れがあります。
ISIS(いわゆるイスラム国)やアルカイダなど非国家主体を共通の脅威として、各国が協力して根絶していこうとする戦いは、これに含まれます。尖閣諸島問題でもめている日本と中国が「友軍」として戦う訓練をしているのは写真の通りですが、ソマリア沖での海賊対処でも海上自衛隊と中国海軍は同じ任務に従事しているのです。
順序を整理して考えれば生じるはずのない混同が、それもキャリア官僚やマスコミに代表される日本の知的エリートの中に存在しているのは、とりもなおさず私が名乗るまで日本に軍事アナリストが一人もいなかったことと無縁ではないのです。
国連憲章の第7章と第8章が、第7章第51条を除くすべてが集団安全保障に言及したものであることを、外務省からして十分に理解してきたとはいえないのです。
駐在武官も読むメルマガを発行
そうした現状をなんとか打破し、日本と世界の平和を実現するためにささやかながらシンクタンク活動をかたちにしたいと考え、その資金を集めるために有料メールマガジン『NEWSを疑え!』(週2回配信、月額1000円)を2011年3月末に創刊しました。
唯一自慢できるのは、外国の駐在武官が購読するレベルの記事のクオリティと、一度も遅配、欠配しなかったことだけですが、日本のビジネスパーソンに購読していただくことで活動資金を獲得し、記事の本数を増やしたり、独自の調査研究をできるようになったりしたいと考えています。
NewsPicksでも、私の独自の視点を提供できるよう、コメントをしていきたいと思っています。よろしくお願いします。
(バナー写真:iStock.com/ninjaMonkeyStudio)
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