遺伝子を正確に効率よく改変できる「ゲノム編集」という技術が爆発的に普及しつつある。一方、今年4月に中国の研究チームがこの技術を使ってヒトの受精卵を改変したと報告し、物議を醸した。米英中の学術団体は今月、ゲノム編集をヒトに使う是非を大規模な国際会議で議論し、基礎研究を容認する声明を発表した。各国でのルール作りに向けた一歩だが、歯止めの弱さを懸念する声もある。【須田桃子、大場あい】
米科学誌サイエンスは今月、今年の「画期的な研究」の1位に最新のゲノム編集技術を選んだ。理由の一つは、中国の研究チームによるヒト受精卵の改変だ。英科学誌ネイチャーも「今年の10人」に、この論文を発表した研究者を選んだ。
論文の内容は、ヒト受精卵の病気の原因遺伝子を正常な遺伝子に置き換えようと試みる基礎研究だった。だが、この技術を初めてヒト受精卵の遺伝子改変に使った報告だったため、米ホワイトハウスが「現時点で越えてはいけない一線だ」という声明を発表するなど波紋が広がった。
これを受け、米英中の学術団体がヒトのゲノム編集をテーマにした国際会議を今月1〜3日にワシントンで開き、約20カ国から数百人が参加。まとまった声明は、ゲノム編集を使うヒト受精卵の研究のうち、基礎研究については、妊娠に使わないことを条件に「適切な規則と監視の下で進められるべきだ」と容認した。
ゲノム編集で遺伝子を改変したヒトの受精卵や卵子、精子を妊娠・出産に使えば、影響は生まれた子の全身の細胞に及び、将来の世代にも引き継がれる。想定される臨床応用は、重い遺伝病の発症予防など医療目的だけではない。親の好みの外見や能力を持つ「デザイナーベビー」の誕生につながるという懸念もある。声明は臨床応用については、「安全性や有効性の問題の解決、社会の合意形成など条件が満たされない限り、(実施は)無責任だ」との見解を示した。
今回の声明は各国での議論のたたき台になる可能性がある。会議で講演した石井哲也・北海道大教授(生命倫理)は声明について、「基礎研究の実施にお墨付きを与え、臨床研究にも『禁止』という明確な表現はなかった。期待よりもハードルが低い内容だった」と語る。
日本には、ヒトの受精卵の遺伝子改変を規制する法律はない。国の指針で、遺伝子改変した受精卵を子宮へ戻すことを禁じているが、もし破ったとしても罰則はない。また、ヒト受精卵などにゲノム編集を施す基礎研究に関する明確なルールもない。
政府の生命倫理専門調査会や日本学術会議が、国内での対応や研究の進め方について検討する予定だ。石井教授は「不妊治療の関係者も交えた議論を進め、基礎研究から臨床応用まで網羅した法律を早急に策定すべきだ」と訴える。
◇狙い絞り遺伝子改変
ゲノム編集技術は1996年に開発された。目的の遺伝子を探すガイド役と遺伝子を切る酵素のハサミをセットにして、細胞内に送り込む。当初のガイド役はたんぱく質だったが、ガイド役にリボ核酸(RNA)を使う「クリスパー/キャス」という手法が2013年に登場すると、瞬く間に普及した。RNAの作製が簡単で安価なためだ。
従来の遺伝子組み換え技術は大量の細胞に遺伝子を無作為に組み込み、たまたま狙い通り改変できた細胞を使うため、成功率が0・01〜0・001%程度と低かった。ピンポイントで遺伝子を狙えるゲノム編集は数%〜数十%と高い。特定の遺伝子を壊したり組み込んだりする実験動物も、従来より短い期間で作製できる。改変の痕跡が残らず、一度に複数の遺伝子を操作することも可能だ。
特に、農水畜産物の品種改良分野の進展が著しく、肉付きのいいブタ▽おとなしく飼いやすい養殖マグロ▽通常の個体より大きなタイ▽病原菌に耐性のあるイネ−−などの研究が進む。
医学分野でも、ゲノム編集を使う遺伝子治療の臨床研究がエイズや白血病を対象に始まり、効果が見られているという。また、京都大が、難病患者の体細胞からiPS細胞(人工多能性幹細胞)を作り、ゲノム編集で原因遺伝子を修復したと報告するなど、再生医療での利用も検討される。米国の国際会議がまとめた声明は、体細胞を使った遺伝子治療などの臨床応用については、「影響を受けるのが個人に限定され、厳格な評価がしやすい」などとして容認する姿勢を示した。
一方、狙いとは違う遺伝子の改変や、一つの個体の中に改変できた細胞とできていない細胞が混在する恐れもある。高橋智(さとる)・筑波大教授(分子生物学)は「革命的な素晴らしい技術だが、これらの危険性がなくなることはないだろう。注意深く使っていく必要がある」と指摘する。
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