2015年11月8日日曜日

 今年5月のある晩、東京の自宅でパソコンをいじっていたら、見知らぬ青年から突然、こんなフェイスブックのメッセンジャーが届いた。「こういう本を出しています! 安倍総理にもご一読いただきました」と勢いがいい。『寝たきりだけど社長やってます』(彩図社)というタイトルで、要は自著を読んで欲しいという“セールス”。メッセージの主は愛知県東海市で名刺とウェブサイト制作をしている会社「仙拓」の社長、佐藤仙務(ひさむ)さん(24)だった。

10万人に1人の難病「SMA」

 「寝たきり社長」とはどういうことかと、その場で佐藤さんのことをネットで調べてみると、生後間もなくSMAと診断され、ずっと寝たきりの生活をしているらしいことが分かった。SMAというのは、脊髄性筋萎縮症のことで、筋肉を動かす神経に問題があり、体を動かせず、筋肉が萎縮してしまう病気だ。似たような病気にALS(筋萎縮性側索硬化症)がある。「乳児期から小児期に発症するSMAの罹患率は10万人あたり1から2人」(難病情報センター)だといい、佐藤さんはこの一人だったというわけだ。
 
 佐藤さんの本は、いわゆる“闘病記”ではなかった。障がいを乗り越えて、会社を設立していく1人の青年の成長譚(たん)でもあり、会社を経営していくなかで働くことの意味や障がい者と世の中との関わりを問う内容でもあった。体も頭も動くのに、自分自身に負けてしまうことがどれだけ多いことか。この本には、随分、励まされた。

寝たきりの社長をITが支える

 佐藤さんとのインタビューが実現したのは、半年後の11月。アパートを間借りした「仙拓」のオフィスを尋ねた。佐藤さんは、部屋に置かれた特製のベッドに“着席”している。体は仰向けで、見上げた先にはパソコンのディスプレイがある。ウェブカメラもついていて、こちらはスカイプ(ネットの通話ソフト)などで使う。エアコンやDVD、部屋の照明もここから操作できるらしい。

 佐藤さんは体の自由がほとんど利かない。話すことはできるが、わずかに動くのは右手と左手の親指だけ。佐藤さんの体に合わせて、父親が入力デバイスを作ってくれた。右の親指でトラックボールを操作し、左の親指で左クリックを押している。文字の入力は、ディスプレイ上のスクリーンキーボードを使い、パソコンを操作する。『寝たきりだけど社長やってます』はこうやって書かれた。

 「この状態で文章を書くのはさぞ大変だったでしょう?」と聞くと、「そうでもないですよ」と言って、テキストエディタを立ち上げ、ソフトウエアキーボードで文字を打っていく。予測変換機能や学習機能は大したもので、「お」と入れれば「お世話になります」が候補にあがってくるなど、自分がよく使う単語はもちろん、辞書登録していない言葉まで候補に出てくる。「Google日本語入力を使っています。これを使うと、ほかの入力ソフトは使えないですね」と、どんどん文字を入力していく。ブラインドタッチのように速いわけではないが、慣れない高齢者がキーボードを打つスピードより速い。

 佐藤さんの仕事を支えているのは、このパソコンだ。業務用のメールを打つのをはじめ、領収書や請求書の処理までここでやってしまうし、ネット経由の“飛び込み営業”までこなしてしまう。こうしたITが、重度障がい者の社会進出を支えていることを目の当たりにすると、本当に良い時代になったなと心から感じる。佐藤さんも「パソコンの向こう側にいる人たちには、僕が障がい者だとは分かりませんよ」と笑う。

健常者に近づかないといけないのか?

 道具は進化しても、社会の仕組みや人々の意識はまだ進化していないのかもしれない。佐藤さんが自分で会社を作ったのは、単純に「重度障がい者の働く場所がなかった」からだ。

 佐藤さんが、養護学校の卒業を間近にひかえた2009年夏、就職先にと考えていた授産施設の実習にでかけた。作業の終わり際に60歳代の車いすに乗った男性に出会う。

 男性はこう言った。「ここから1人で帰るんだろうな」。全身が動かないのに一人で帰れるはずがなく、送り迎えは母親がしてくれる。なぜ1人で通えないかを説明するが、男性がたたみかけてきた。「親が甘やかしやがって……。1人で通わせろよ」「お前みたいな軟弱障がい者、ろくな人生送れない」。

 親をバカにされたようで、怒りが収まらない。親に迷惑をかけている自分にも腹が立ってきた。佐藤さんが、ここで直面したのは「障がい者が健常者に近づこうとする現実」だった。「健常者に近づこうと自分を追い込まなくてもいいじゃないか」と感じた。

体が動かなくても関係がない。「仙拓流」の営業とは

 結果、この施設に就職することはやめ、障がい者支援施設に通うかたわら、日本福祉大学(愛知県美浜町)にも通う。働くことを諦めきれない佐藤さんは、2011年5月、その施設で同じ障害を持つ松元拓也さん(26)を誘って共同で「仙拓」を設立することになる。「普通の会社で働こうとしたら、会社は介助者を雇わなければなりません。そうすると気持ち、人の二倍の仕事をしなければなりません。それは重いでしょう?」。

 松元さんは「仙拓」の副社長で、ウェブや名刺のデザイン担当。佐藤さんは営業部長のような存在だ。はじめのうちは、身内を頼って名刺を発注してもらう程度だったが、今は違う。ネットを見て、つながりたいなと思った人にはネット経由でコンタクトをとる。体が動かないからその後の商談ができないということはない。来てもらえばいいし、そこまでやらなくてもスカイプでやりとりすればいい。これが「仙拓流」の営業。

 体が動くとか、動かないとか関係がない。まぁ、とにかく、熱心にいろんな人とコンタクトをとる。安倍晋三首相や昭恵夫人をはじめ、イタリア料理店「LA BETTOLA (ラ・ベットラ)」 の落合務シェフ、そしてテレビや雑誌、ウェブメディアに声を掛けるPR活動も怠らない。いまはTBSのドキュメンタリー番組の密着取材も受けている。

 「障がい者が社長を務めている会社はほかにもありますが、実際は健常者が経営をしていることがあります。『仙拓』は違います。ただ、障がい者が会社をやっているということで有名になって、それだけで仕事が回るほど世の中は甘くはありません」と佐藤さん。

アプリの開発にもチャレンジしてみた

 佐藤さんと話をしていると、難病の患者であることをまったく感じさせない。ポジティブでアグレッシブにビジネスに取り組む青年実業家のイメージしかない。彼の悩みは体が自由に動かないことではなく、会社をどう大きくしていくかということにある。収益の多様化は検討事項の一つで、昨年はスマートフォンのアプリ制作にも取り組んだ。

 「普通なら、障がいを持った人でも操作しやすいアプリとか出すと思うでしょう? それも考えたんですが、僕らは体が不自由だから、人の歯を磨くことができないなと思って作ったのがこれです」と紹介してくれたのが、iPhone用のゲーム「おおきく口をあけて!歯みがき日和」だ。

 「帰りの新幹線で遊んでみるよ」と伝えたら、「止めたほうがいいです。絵と音が恥ずかしいですから」と笑われた。東京に戻ってきて、アプリをインストールして遊んでみたけれど、そのアドバイスに感謝した。歯を磨いてあげると、いわゆる「萌え系美少女キャラ」が「センパイ!」「ええっ!?あっ、いや!そこまではちょっと」などとアニメ声で反応する……。

 ゲームのプロデューサーを務めたのが松元さん。松元さんが構成や進行を考え、名古屋市の IT特化型障害者就労移行支援事業所「テリオス」にプログラミングを依頼、声優さんを雇って音声を録音してもらった。アプリは1万ダウンロードを超えたものの、掲載される広告で収益を上げるには厳しかった。「黒字にならなくても、開発費用くらいはペイできればと思っていましたが、それも遠いです」と残念がる。

 「松元がエンターテインメント要素の強いのをやりたいって言うのですが、『仙拓』と目指す方向性違うから……」と2014年12月、松元さんが代表を務めるアプリ制作子会社「ムーンパレット」を設立した。現在もゲームアプリを制作中で、近くリリースする予定だという。

障がいを持った社員が活躍できる場を作りたい

 会社設立初年度の売上は約76万円だったが、2014年の年商は約300万円へと成長した。「障がい者雇用を進めていきたい」と言う佐藤さんは、社員が活躍できる場の提供にも熱心に取り組む。いまでは従業員2人を雇うようになった。いずれも筋ジストロフィー症の重度障がい者だが、ITを駆使しながら在宅で勤務する。

 1人は、大阪に住む大学院卒の37歳の社員。最初、「働かないか?」と声をかけたら、彼に怪しまれたのだという。そもそも難病を抱えていると、働くという選択肢は生活のなかにない。通院以外に外出しないのが日常なので、就職という「うまい話」が飛び込んでくると「騙されているのではないか?」と感じてしまったのだという。しかも「寝たきりで働けます」と言われたらなおさらだろう。

 「彼はサイトのアクセス解析をしてくれているのですが、本当に給料がもらえるとは思っていなかったようです。でも、口座を見たら実際にお金が入っていた。そのお金で、家族にお寿司の出前をとってあげたらしいですよ。今では『働けるとは思ってなかった、死ぬまで働きたい』と言ってくれて、僕も嬉しくなってしまいました」。

 もう一人の埼玉に住む23歳の社員については、こう話す。「有名大の法学部を首席で卒業したんです。でも、就職活動では『筋ジス』だということだけで『無理』と言われてしまいます。でも、頭がよくて、成長がすごいんです。ウェブ制作技術のすべてを吸収していく。上司である副社長の松元も『やべぇ』と言って警戒するくらい。こんなに嬉しいことはないですよ」。

 世の中には、部下の成長を嫉妬したり、自分より能力の劣る部下に優越感を感じたりするリーダーや課長がごろごろいる。そういう心理がビジネス実務書のテーマになることだってあるのに、寝たきりのハンデを抱えながら、わずか24歳でその境地に達するものなのか?

「社員全員が障がい者の会社」を上場させる

 「諦めずに最後までやるタイプ」と自身を評価する。佐藤さんは「体は動かないけれど、頭は人と同じように働く」と言ってはばからない。「会社を作ったときも、1~2年で潰れると言われたけど、4年続いている。いまでは上場したいんですよ」と言い始めた。それも社員全員が障がい者の会社。

 「本当に?」と驚いた。「そうやって笑われるけど、何でも言ったことを実現したときの達成感が気持ちいいんです。高校のときは有名人になりたいと先生に宣言しました。今では、こうやってメディアにも取材されるし、有名が実現してきているでしょう?」と言う。「なると言ったことは、なるんですよ」と話すそのときの表情は、真剣そのものだった。

 インタビューが終わって帰り際、佐藤さんは「僕には運があるんです」と言った。私は「運は努力の結果、勝ち取るものと言いますよね?」と返したが、佐藤さんは「そうではない運もあるとは思いませんか?」と悟ったように言う。
 
 自分が不自由な体に生まれてきたことをまったく恨んでいなかった。上を向いて、楽観的に構えていると降ってくる運もきっとあるのだろう。佐藤さんは、そんな運のつかみかたを知っているに違いない。

 「下を向いちゃうとチャンスが向こうに行っちゃうから。寝たきりだと下を向けないから。後ろも振り向けないから」。そう笑いながら私を見送ってくれたのだった。

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